聖書別日ごとの糧   >>   詩篇[2015]

2015年 10月 17日 (土)

詩篇35:1-28
その救いを喜びとし

 この詩は、自分を害そうとする敵から救ってください、と求めるダビデの詩です。ダビデは、私と争う者、私と戦う者、私に追い迫る者、私のいのちを求める者、私のわざわいを図る者を退けて、私を救ってください、と祈ります。何のあやまちがなくても、彼らは理由もなしに、ダビデを殺そうとしました。偽りの証人たちが立って、彼が知らないことを問いました。彼らは善にかえて悪を報いようとしました。それでも、ダビデは、このような彼らが病んだ時には、荒布をまとい、断食して、悲しみ、祈ってあげました。まるで、兄弟や母親に向けられたかのようです。しかし、ダビデが苦境に処せられると、彼らは共に集まって、喜び、ダビデを中傷しました。ダビデは、神様にいつまで見ておられるのかと、尋ねました。私を滅ぼそうとする者たちから、救ってくださいと祈りました。主は、この全てのものをご覧になり、眠らずに起きて、主の公義によって、私を判断し、敵が恥ずかしめを受けるようにしてください、と訴えました。それで、主に感謝して、主の義を話し、賛美するようにしてくださいと祈りました。悔しい苦しみは続き、祈りをしても、神様は眠っているだけでした。しかし、ダビデは神様の救いを疑いませんでした。神様は、この全てのものを見守っておられ、ついに、公義によって、彼を判断し、敵を滅ぼしてくださることを、信じました。神様の義と救いを賛美するようになる日を仰ぎ見て、祈りました。私たちも、世の中で、理由のない苦しみを受ける時があります。正しく生きようとする時、この世で、ねたみと憎しみを受けます。しかし、神様は見守っておられます。ついに、神様が公義によって、判断してくださる時が来ます。悔しい苦しみの中にいる時、私たちは落胆せずに、救いと公義を行なわれる神様を仰ぎ見て、祈らなければなりません。

祈り:苦難の中で、不平が出ますか。

一言:主の義を話し、賛美しましょう


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