聖書別日ごとの糧   >>   箴言[2024]

2024年 02月 07日 (水)

箴言21:1-19(3)
いけにえより望ましいもの

 神様は礼拝を喜ばれます。しかし、いけにえや行ないそのものよりも、人の心の中をご覧になります(2,27)。涙流して聖なる礼拝をささげる人が、礼拝堂の外では正義と公平と無関係な生活することもあります。神様は、単にそれらしく、いけにえを献げることを喜ばれません。欺かれません。神様は、いけにえよりも、正義と公平を行なって生きることを、もっと喜ばれます。礼拝と礼拝堂の外での生活が一致していることを願われます。神様が喜ばれる礼拝とは、礼拝そのものよりも、外での義と公正であると言っても過言ではありません(3)。

 高ぶる者の成功は祝福ではなく、罪です(4)。悪によって集められた富、悪者の成功は、輝かしいことのように思え、永遠のものに思えることもあります。しかし悪者の暴虐は、結局彼自身を破滅させます。その人の富と成功は、霞のように何の痕跡もなく、消え去ります。滅亡で終わります。また、快楽を好み、酒と油を好む人は貧しくなります。しばしの快楽を追う者の人生は貧しくなります。怠け者の欲は、悪をたくらむことによって、結局は自分自身を殺します。曲がった者の成功を羨ましがらず、きよく、忠実に生きていきましょう。



祈り:主よ、私が神様の前で真実に生き、世界を統べ治められている神様に拠り頼んで生きるように助けてください。

一言:私の心を評価される神様



2024年 02月 08日 (木)

箴言21:20-31(31)
救いは主による

 人々は、戦いの日のために、馬を備えます(32)。数での優勢が、すなわち戦争での勝利だと、考えているからです。しかし、歴史の重要な分かれ道では、このような考え方が覆されることもあります。ギデオンと300人の兵士は、ミディアンの兵士135,000人を倒しました。人のもつ卓越した知恵や英知も、神様の考えには到底及ばず、無きに等しいです(30)。人がいくらよく準備して、力を注いでも、主が救って下さらないのなら、無駄な努力に過ぎません。31節の「救い」という言葉の原語は、「勝利」「解放」とも訳せます。救い、勝利、解放は主によるものです。

 このことを知っている人は、どうするのでしょうか。義と恵みを追い求めます(21)。できる限り、正しく隣人と接し、いつも変わることなく、あたたかく、もてなします。また、主の前で謙遜になり、主が喜ばれる人になります。このような人は、いのちと義と誉れを見出します(21)。反面、救いが主にあることを知らない人は、何の労苦もなしに簡単に得ようとし(25)、偽りを言い(28)、高慢無礼で(24)、あつかましいです(29)。彼らは滅ぼされます(28)。



祈り:主よ、救いと勝利は、人やお金や地位にあると考えてしまう自分がいます。そうではなく、主によるのだと改めて教えて下さり感謝します。人やお金よりも、主に寄り頼みながら生きる者にさせて下さい。

一言:救いは主による


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