聖書別日ごとの糧   >>   箴言[2024]

2024年 02月 09日 (金)

箴言22:1-16(1)
富より名声を

 多くの人々は多くの富が最高だと思います。富を得るために名誉も捨て、健康も犠牲にします。さらには神様の御言葉も拒みます。しかし実際には多くの富より名声の方が価値あるものです(1)。名声があれば、必要な富が伴い、生きがいも得るようになります。しかし世の名声は花のようにしぼんでしまいます。永遠の神様から得る名声だけがしぼみません。それで私たちは銀や金より、神様から来る愛顧を求めなければなりません。神様は、ご自分を重んじる者を重んじ、名声ある者にされます(Ⅰサム2:30)。この世で損をしてでも、主権者神様を信じ、神様を恐れ敬って生きる時、神様は富と誉れといのちで報いてくださいます(2,4)。

 若者をその行く道にふさわしく教育すれば、年老いても、それから離れません(6)。子どもの心には愚かさが絡みついているため、これを断ち切るためには懲らしめのむちが必要です(15)。その行く道にふさわしく教育しなければならないのに、反発を恐れて教育しないなら、子供を滅ぼしてしまいます。特に、富よりも名声を、銀と金よりも、愛顧を選ぶことが正しいことであることを、子どもたちには教えるべきです(6)。



祈り:主よ、どんな価値観を持つことが大事であるかを学びます。私が富よりも名声を、そしてさらに神様の愛顧を選ぶ者になるように助けてください。

一言:富よりも名声



2024年 02月 10日 (土)

箴言22:17-29(24)
怒りっぽい者と交わるな

 怒りっぽい者と交わってはならず、激しやすい人と一緒に行ってはいけません(24)。怒りっぽい者は、憎しみと憤怒に満ちています。このような人はわなになります。感謝がなく、不満が多くあります。その上、弱い者からかすめ取り、苦しむ者を踏みにじります(22)。欲望のままに振る舞い、神様が定められた秩序を崩します(28)。なぜこのような者と交わってはいけないのでしょうか。交わるとは、近づくということです。すなわち、与え合うということです。怒りっぽい者に近づけば、その中にある憎しみと憤怒を移されます。それで、自分でも分からないうちに、憎む者、怒りっぽい者となり、怒り、憤ります。すると、たましいがわなに陥ります(25)。そのたましいは平安を失い、結局は滅びを招きます。

 今の時代は、かすめ取る時代です。壁を作って、互いに非難し合い、悪口を言い合い、訴え合います。このような時代に怒りっぽい者と交わらないで代わりにすべきことはなんでしょうか。お互いに和解するように、平和の使者にならなければなりません。また、このような時代の中で、傷つき、苦しんでいる人を慰めなければなりません。神様は弱い者の苦しみを解き、奪う者の命を奪うからです(23)。神様が、略奪する者に傷つけられている人を顧みられたように、私たちも、弱い者の苦しみを聞いて、それを解いて行く牧者にならなければなりません。



祈り:主よ、私が感謝せず、怒ることが多かったことを悔い改めます。柔和で謙遜な主と毎日交わりを持ち、主からもっと学ぶように助けて下さい。怒るのに遅く、恵み豊かになれるように助けて下さい。

一言:柔和な主と交わろう


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