聖書別日ごとの糧   >>   箴言[2024]

2024年 02月 11日 (日)

箴言23:1-18(17)
なぜむなしいものに目を留めるのか

 「ただより高いものはない」とよく言われるように、接待を受けるときには、その意図をよく知らなければなりません(1)。食をたしなむことは、貪欲を抱くという意味を持っています(2)。自分が欲に弱い者であるのなら、特に注意しなければなりません(3)。大きな魚が小さな餌にだまされてつられるように、貪欲を抱くなら、だまされてしまいます。「富を得ようと苦労してはならない」(4)とは、悪者のように、富をむさぼってはならない、という意味です。彼らは神様が定められた規則を無視し、反則してでも自分の地を広げます(10)。弱い者の財産を力で奪い取ります。そのような財産は、むなしいものです。労苦をせずに得たお金は、鷲のように天へ飛んでいきます(5)。あとで、みな吐き出さなければならなくなります(8)。

 私たちの時代は、「富ませてください」と祈っています。「富=神様の祝福、貧=神様のさばき」という公式になっているようです。人々は手段と方法を選ばずに、金持ちになろうとしています。しかし、金持ちになっても、喜びがありません。持っているものを失う不安でいっぱいです。また、もっと欲しいと思って満足できません。貪欲は、満足できない心です。また、お金は翼が生えて飛んで行くので、信じることができません(5)。それで、知者はこのように教えます。「心のうちで罪人を羨んではならない。いつも、ただ主を恐れていよ。」(17)。むなしいことで成功することは、神様の人がうらやむほどのものではありません。神様の人は、主を信じて主に頼ります。主を恐れ敬う時、私たちの将来は安全です。私たちの望みは明るくなります。



祈り:主よ、私がおいしい食事と富を欲しがることより、神様の訓戒の御言葉に心を用いるように助けてください。あるものを感謝して満足する、謙遜な心を私に与えて下さい。

一言:どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい



2024年 02月 12日 (月)

箴言23:19-35(31)
それを見てはならない

 ぶどう酒は赤く、おいしそうで、杯の中で輝き、なめらかにこぼれるので飲むのには良いです(31)。それで、酔場で飲んで、酒が酒を呼んで、酒に浸ります。二次会、三次会と、酒場を転々とします(30)。お酒を飲んでいたのが、いつの間にか自分がお酒に飲まれています。節制しないで飲み続けるなら、酒は殺す酒、まむしのように刺す酒に変わります(32)。大酒飲みの目は、異様な物を見、心はねじれ事を語ります(33)。緊急事態であっても、「私は知らなかった」と無感覚な人になります。殴られても痛くなく、傷ついても気が付きません。そうしながら、また、お酒を求めます(35)。酒に飲まれると、災いと争いがあります。家庭内暴力には、いつもお酒に酔った親がいます。大酒飲みは貧しくなります(21)。それによって、悲嘆に暮れ、争いが絶えず、不平を言い、理由もなく傷つきます(29)。血走った目、すなわち、激しやすく、怒りで満ちた人になります。お酒によって生活がすさみ、人間関係が壊れ、からだは蝕まれ、アルコール中毒で死ぬ場合もあります。

 お酒が節制できなければ、見てはならず、酒場を好む人と交わらないのが知恵です(20)。聖書は、お酒を飲むことは禁じていませんが、酔ってはいけないと言っています(エペソ5:18)。実際に、酔って失敗する人は、大変多くいます。ノアは、お酒に酔って醜態をさらした後、恵みを持って対処しなかった息子を呪うようになりました(創9:24,25)。ロトは、娘たちからお酒を飲まされて酔い、近親相姦の罠にはまりました(創19:35)。お酒と上手に付き合えば大丈夫だ、飲んだ方が人間関係も良くなって、社会生活も上手くできると考えるのは誘惑です。私達はお酒に酔わないで、御霊に満たされましょう(エペソ5:18)。真理ときよさで人々を感化させ、良い人間関係を結びましょう。神様の人々は、明るく、健全な文化を作っていかなければなりません。



祈り:主よ、お酒の誘惑が強い世の中でも、私が聖霊さまに満たされ、御霊の助けの中で人間関係、社会生活を勝利しますように。このようにする時、お酒の誘惑に勝てると信じます。

一言:最初から見ない


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