聖書別日ごとの糧   >>   箴言[2024]

2024年 02月 15日 (木)

箴言25:1-15(2)
クリスチャンの誉れ

 ヒゼキヤ王は偶像崇拝と不道徳に陥っていた国を改革した王です。当時の堕落ぶりは箴言の御言葉からも垣間見ることができます。ヒゼキヤ王は不正な社会を改革するにあたって、ソロモンの箴言をまとめさせ、進むべき方向を示しました。

 事を隠すのは神の誉れであり、事を探るのは王たちの誉れです(2)。神様の創造や神様の摂理、そして、神様の統治方法や救いの御業などは隠されていて、人の知識や知恵では知ることができません(申29:29,ローマ11:33)。神様は、人間を超越して働かれる方です。ですから、神様が立てた王は、このような神様の働きを探り、神様の摂理と御旨に従って、民たちによく仕えなければなりません。このようにすることが、王の誉れです。

 神様は、イエス・キリストを通して、神様の全てのことを啓示してくださいました(ヨハネ14:9-11)。私たちが、幼子のように謙遜な心で、主の御言葉を聞く時、神様が御霊を通して、隠された神様の御業を知らせてくださいます(マタイ11:25,Ⅰコリント2:10)。神様の御業を探り、知り、人を助けられるのがクリスチャンの誉れです。しかし、このようにするには、鍛錬されなければなりません。それは、銀から、かなかすを除くと、練られた良い器ができるのと同じです(4)。王は、権力を強化することより、権力に伴う悪しき者を取り除くと、その王座は義によって堅く据えられます(5)。私たちが隣人と争う時も、弁論だけして、ほかの人の秘密を漏らしてはいけません(9)。特に、感情を介入させ、悪い推測をして、その人を冒涜することは無くさなければなりません。特に、忠実さを学び、私たちを遣わしてくださった神様を喜ばせなければなりません(13)。



祈り:主よ、私が主の御業を探り、主の御旨に従って、人に仕える王のような霊的指導者になるように、助けてください。

一言:私は王のように主の御業を探る



2024年 04月 05日 (金)

箴言25:16-28(21)
自分を憎む者に食べさせ

苦難の日に頼る人がいないため、今まで裏切られたことがあるにもかかわらず、同じ人に頼ってしまう愚かさをしでかすことがあります。その結果は分かりきっています。何の役にも立たないどころか、かえって、いっそうひどくなるでしょう。真実なイエス様こそ苦難の日に私たちの真の避け所となる方です。自分を憎む者が困っている時は、助けてあげるのが主の御心です。そうすることで、彼の頭に燃える炭火を積むことになります。彼は苦しみと辱めを受けます。それでも悔い改めないのなら、神様からの裁きを受けるようになります。善をもって相手に返すのであれば、神様が報いてくださいます。

 争い好きな妻と一緒に家にいて争いが絶えないよりは、屋上の片隅に住んで家の中に争いが起こらないようにする方がよいです。ふだん連絡があまり取れないような遠い地から送られてくる良い知らせは、疲れた人への冷たい水のように人を生き返らせるほどに素晴らしいものです。泉が汚され、井戸が荒らされることがありますが、これは正しい人が悪しき者の前に屈服するように酷い事です。しかし、イエス様のように十字架につけられて死ぬことになっても、決して悪しき者の前に屈服してはなりません。心は、町を守る城壁のように自分自身を守ってくれます。心を制することができないのなら、あらゆる敵の攻撃にさらされ、すべてのものが略奪されます。この世の肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などから自分の心を守らなければなりません。



祈り:主よ、敵さえも愛するあなたの心を与えてください。そして、悪しき者の前に屈服しないように私を助けてください。

一言:自分の敵を愛しなさい


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