聖書別日ごとの糧   >>   伝道者の書[2010]

2010年 06月 05日 (土)

伝道者ノ書2:1-17
快楽がむなしい

Ⅰ.快楽の末(1-11)
 ソロモンは、どのようにすれば肉体の快楽を最大限に楽しむことができるのか、と悩みました。まず最初に酒で肉体を楽しませようとしました。その次には事業を拡張し、邸宅を建て、銀や金、宝石を山のように積んでみました(8)。また男女の歌うたいをつくり、快楽である多くのそばめを手にいれました。彼は目の欲するものは何でも拒まず、心のおもむくままに、あらゆる楽しみをしました。しかしその快楽はどこに行き着くのでしょうか。
 その後、彼が振り返って見ると、自分の手で行なったすべての事業と、労苦がすべてむなしいものでした(11)。物の豊かさと肉体の満足は一瞬の間、私たちを楽しませてくれるかもしれませんが、結局その行き着く所は、満たされないむなしさだけが残るようになります。
Ⅱ.知恵ある者も愚かな者とともに死ぬ(12-17)
 ソロモンが見ると、知恵が愚かさにまさっているのは、光がやみにまさっているようでした。知恵ある者は目が明るく、光の中を行き、人々の指導者になります。それで人々はお金と時間を投資し、勉強して、知恵を得ようとします。しかしソロモンは、これもまたむなしい、と言いました。その理由は、知恵ある者も愚かな者とともに死んでいなくなるからです(16)。人のどんな知恵でも、限界を克服することはできません。このような死の限界を抜け出せるようにしてくれるのが、本当の真理です。

祈り:主よ!私が、ソロモンが得ていた富や名声も本当の楽しみにならないことを悟りました。今、主だけを喜び、生きます。

一言:ただ、主だけが、私の喜び



2010年 06月 06日 (日)

伝道者ノ書2:18-26
満足を見いだすよりほかに

 伝道者は、日の下で骨折ったいっさいの労苦を憎みました(18)。「日の下で骨折ったいっさいの労苦と思い煩いは、人に何になろう。」と言いました(22)。生涯心配し、労苦し、夜眠れずに、財産を得ても、疾病、事故、死などで自分がその全ての物を持つことができず、後継者のために残さなければならないからです。ところが後継者に残した時、その遺産が後継者にとって災いになることもあります。これを知った伝道者は「実に、日の下で骨折ったいっさいの労苦と思い煩いは、人に何になろう。」と言いました(22)。労苦し、思い煩って多くのものを得ても、その人生はむなしいだけです。
 では、伝道者は、どのように生きることが知恵ある生活だ、と言いましたか。
第一に、食べたり飲んだりし、自分の労苦に満足を見いだすことです(24)。後継者に譲るために多くのものを得ようとすることより、今飲んだり食べたりして生活できることに感謝し、喜ぶことです。第二に、労苦すること自体を喜ぶことです。何かを得ることで幸いを得るのではなく、労苦すること自体を感謝して、満足するなら、それが幸いなことです。職場で働いていること、学校で勉強していることなど、それ自体に満足することが幸いな生活であり、知恵ある生活です。
 ところがそのような生活は神様の御手によるものです(24b)。神様は、みこころにかなう人には、知恵と知識と喜びをお与えになります。しかし罪人には、労苦を与え、神様のみこころにかなう者に渡すために、集め、たくわえる仕事を与えられます(26)。

祈り:主よ!私が多くの物を得なければ幸せになれないと思った愚か者です。今、神様の中で、食べて飲んで、働くことによって、満足できるように、助けてください。

一言:食べたり、飲んだりし、自分の労苦に満足を見いだす生活


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