聖書別日ごとの糧   >>   伝道者の書[2010]

2010年 06月 07日 (月)

伝道者ノ書3:1-15
何事にも、定まった時期があり

 世の中には、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時があります(1)。生まれるのに時があり、死ぬのに時があり、植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時があり、・・・戦うのに時があり、和睦するのに時があります(2-8)。若い時があれば、年を取る時があり、試練の時があれば、祝福の時があります。それで私たちは自分の欲望と意志を主張することよりも、神様の時に従わなければなりません。
 また、世の中のものは永遠に存在するのではなく、時に従って過ぎ去っていきます。それで私たちは与えられた時を、逃さないようにしなければなりません。勉強する時には勉強し、神様の訓練を受けなければならない時には、訓練を受けなければなりません。それを避ければ、後にはさらに大きな試練を受けるようになります。私たちは今どんな時を受けていても、この過程を貴く思い、喜ばなければなりません。
 神様は、私たちに永遠を慕い求める心をくださいました(11)。人は永遠を慕い求める心のために、一時的で可変の世のものに満足できません。これが人と動物の違う点です。それでイエス・キリストの中で、神様の永遠なものを追求する者は永遠の満足と真の安らぎを得ることができます。
 神様が行われる御業を、人は知りません(11b)。それで未来のことは神様にゆだね、今与えられた生活を喜び、善を行なうことが、もっとも大きな祝福です(12)。

祈り:主よ!私が世のすべての営みには時があることを知り、時に従って生き、永遠なものを追求するように、助けてください。

一言:時をよくわきまえる



2010年 06月 08日 (火)

伝道者ノ書3:16-22
神様の正義のさばき

Ⅰ.正しい人も悪者もさばく(16,17)
 世の中には、さばきの場に不正があり、正義の場に不正があります(16)。正義を行なわなければならない指導者たちが不義を行なった時、絶望し、怒り、彼らを憎んでしまいがちです。また私も不正を行なってでも、欲望のままに生きようとする誘惑を受けやすいです。
 しかし正しい人と悪者をさばかれる神様の正しいさばきがあります(17a)。すべての営みと、すべてのわざには、時があるように、神様の正義のさばきが必ずあります(17b)。それで私たちは権力ある座にある時、神様のさばきを意識し、正義を行わなければなりません。また悪者たちに対してのさばきを神様にゆだねなければなりません。
Ⅱ.人の子らの霊は上に上がり(18-22)
 人が死んで土に返って行く点では、獣と何の違いもありません。このような点で、人は何も獣にまさってはなく、すべてはむなしいです(19)。しかし人は獣とは違い、死んでその霊は神様に上っていきます(21)。それで人生がむなしいと叫び、獣のように生きてはいけません。人が獣と同じ存在として見るなら、神様がお与えになった人間の尊厳と偉大性を喪失し、神様の御前で悪を行なうようになります。人は死んでも、その霊は神様に上っていきます。私たちがこのことを知り、この地にいる間、神様を喜ばせる生活をしなければなりません。また生きている間、自分の仕事を楽しむ生活が幸いであることを、知らなければなりません。

祈り:主よ!私が、正義によってさばかれる神様を恐れ敬い、正義に従って生きるように助けてください。

一言:神様の正義のさばきがある


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