聖書別日ごとの糧   >>   エレミヤ書[2012]

2012年 05月 26日 (土)

エレミヤ6:1-15
平安を得る道

Ⅰ.戒めを受けよ(1-8)
 エレミヤは、バビロンがエルサレムに攻め上る光景を心に描いて、エルサレムの住民に悔い改めを促しました。しかしエルサレムは、井戸が水をわき出させるように、悪をわき出させて、悔い改めませんでした(7)。彼らが戒めを受けず、悔い改めなければ、神様は彼らを嫌い、その地を住む人もない荒れ果てた地にされます(8)。このような者たちに臨むのは、不安と寂しさと恐れだけです。戒めを受けて悔い改める者の心に、本当の平安が臨みます。
Ⅱ.御言葉を喜んで聞け(9-15)
 ユダの民たちは耳に割礼を受けなかったことで、聞く耳がありませんでした。彼らは、さばきのメッセージよりも祝福のメッセージだけを聞こうとしました(10,14)。しかし宗教指導者たちはみな偽りを行ない、少しも恥じることなく、忌み嫌うべきことを行ないました(13,15)。彼らは、神様の御言葉を、自分たちに対する悪口だと考えました。「平安だ、平安だ」と言って偽りの平安を約束し、民たちに間違った道を行かせました。神様はその御怒りを耐え忍ぶことができずに、彼らを罰せようとされました。
 神様の御言葉を軽んじて耳を傾けない人々に平安があるはずがありません。むしろ神様の怒りが臨むだけです。平安は、神様の御言葉を聞く時に、来ます。耳の割礼を受け、神様の御言葉を聞いて悔い改める時、心の平安、家庭の平和、国家の安泰、世界の平和が臨むようになります。

祈り:主よ!私が御言葉を聞くのを嫌ったので、平安がなかったことに気づきました。私に悔い改めの霊と霊的な耳をください。

一言:平安は悔い改めた人の心に



2012年 05月 27日 (日)

エレミヤ6:16-30
霊的な見張り人

Ⅰ.見張り人(17)
 神様は、エレミヤを指して、「見張り人」、「ためす者」、「ふいご」にたとえられました。このたとえは、預言者の使命について、教えてくれます。
 見張り人は眠っているたましいを御言葉でゆり動かして起こします。また、民たちに危険が迫って来た時、角笛を吹いて、わざわいを受けないように、警戒心を呼び起こします。私たちは、この時代の見張り人として、立てられました。それで、私たちはいつも目を覚ましていなければなりません。金銭万能主義と偶像崇拝、怠惰と情欲に病んでいる兄弟姉妹たちを真理の御言葉で悟らせなければなりません。
 クリスチャンはまた、ためす者です(27)。クリスチャンは民の中に住みながら、彼らの霊的な状態がどうなのか、彼らが間違った道を行かずに正しい道を行っているのか、を知り、保護しなければなりません。
Ⅱ.精製する者(29)
 銀を精製する時、鉛を使います。それは、重い鉛が不純物と共に下に落ち、銀は上に上って行くからです。このように預言者は、民たちの心にある罪と欲望を御言葉で精製する者です。ところが民たちの罪が重ければ、預言者は溶けてしまいます。それで民たちの罪が重ければ重いほど、御言葉をさらに深く、鋭利に研ぎ澄まし、熱心に神様の御言葉を宣べ伝えなければなりません。民たちの罪を精製するものは、御言葉だけです。

祈り:主よ!私に真理の御言葉をくださり、この時代の霊的な見張り人としての使命を担うことができるように、助けてください。

一言:私はこの時代の霊的な見張り人


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