聖書別日ごとの糧   >>   エレミヤ書[2012]

2012年 06月 16日 (土)

エレミヤ40:1-6
民と共に

 バビロンの侍従長ネブザルアダンがユダの捕虜をバビロンに引いて行きました。彼はラマでエレミヤを釈放して言いました。「あなたの神、主は、この所にこのわざわいを下すと語られたが、主はこれを下し、語られたとおりに行なわれた。あなたがたが主に罪を犯して、その御声に聞き従わなかったので、このことがあなたがたに下ったのだ。」神様は、異邦人を通して、ユダに臨んだ災いがご自分の民の罪に対する主のさばきであることを、明かされました。ユダの敗北は軍事力の劣勢からではありませんでした。神様に罪を犯し、その御声を聞かなかったからです。神様の民が受ける失敗には、主の主権があります。失敗の日、神様の御前で罪を顧みて、悔い改めることが正しい姿勢です。
 侍従長はエレミヤを優待して、自由の身にしました。彼が望む所なら、バビロンでもユダの町でもどこへでも行くように、許しました。エレミヤは自分を優待する侍従長について行き、楽に生きることができました。しかし彼はその地に残り、民の中に共に住む道を選びました。彼らは力なく、貧しい賎民でした。しかしエレミヤは民の中に住もうとしました。彼は今まで多くの苦労をしました。今、いくらでも自由に生きることができるようになりました。しかし一人で幸せに暮らそうとはせずに、最後まで民と共に住もうとしました。牧者の存在意味は羊たちと共に住むことにあります。辛くても、羊たちと共にいる者が本当の牧者です。

祈り:主よ!私が辛くても、一人で生活せずに、最後まで羊たちと共に住む牧者となるように、助けてください。

一言:牧者はいつでも羊たちと共に


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