聖書別日ごとの糧   >>   エレミヤ書[2023]

2023年 12月 13日 (水)

エレミヤ書 18:1-23 (6)
あなたがたも、わたしの手の中にある

 神様は主権を持っておられる主です。それを、陶器師の例えで教えてくださいます。主はエレミヤに陶器師の家に下れと仰せられました。すると、陶器師は、粘土で制作中の器を自分の手でこわし、再びそれを陶器師自身の気に入ったほかの器に作り替えました。イスラエルは粘土と同じです。粘土が陶器師の手の中にあるように、彼らも主の御手の中にあります。主には彼らをこわし、ほかの器に作り替える主権があるのです。しかし、その主の主権には、原則があります。ある民族を裁かれるとき、その民族が悔い改め、立ち返ってくるなら裁かれません。反対に、ある民を立てようとしたのに、悪事を行うなら、祝福は与えません。主はイスラエルをお選びになり、立てようとされました。ところが、彼らは主の御言葉に聞き従わず、悪を行いました。主はそんな彼らに裁きを下そうとしておられます。しかし、まだチャンスは残されています。彼らがおのおの悪の道から立ち返り、行いとわざとを改めるなら、主は再び御恵みを与えてくださいます。イスラエルをこわす方も、作る方もただ主です。彼らは主の主権を悟り、恐れ敬う心をもって、悪事から立ち返られなければなりません。

 ところが、現在の彼らはどうですか。自分の計画に従い、おのおの悪いかたくなな心のままに行っています。どんなに愚かなことでしょう。彼らは自分たちを立てることも、こわすこともおできになる主の御前で謙遜でなければなりません。かたくなな心のままでは、壊され、裁かれるしかないのです。主は陶器師であり、私たちは粘土です。私たちは、主の主権の中にあるのです。この事実を認めるとき、私たちは自分を誇らなくなります。悪の道から立ち返るようになります。私たちは、主の主権の前で、謙遜に生きるべきです。主の御恵みを祈り求め、信仰によって生きるべきです。



祈り:主よ、主は陶器師で、私は粘土です。主の主権を畏れ敬い、ひざまずきます。あなたの御旨のままに私を立てて、主のかたちに造ってください。

一言:主の手の中に


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