2023年 12月 16日 (土)
いのちの道と死の道
ベン・ヒノムの谷でエレミヤが神の裁きを語ってから10年ほどが経ちました。エレミヤの預言は成就しましたが、ユダ王国のゼデキヤ王は、バビロンの王ネブカドネツァルに降伏したくありませんでした。奇しいみわざが起きることを期待しました(21:1,2)。しかし、主の御心は何でしたか。主は彼らに、いのちの道と死の道を置くと仰せられました(8)。降伏しないで町にいる者たちは死に、降伏するなら生き残ります。一言で、降伏のみが生きる道なのです。降伏するとは、受け入れること、持っているものを置くこと、退くことです。現実の状況をあるがままに認め、受け入れるべきです。現在持っているすべてを諦めることです。そして、後ろに退くべきです。ひたすら前進することだけが、あるいは不屈の戦いだけが信仰であると思いがちです。降伏は失敗であり、恥であると思ってしまいます。今までエレミヤは、敵に降伏するように語ってきたので、恥辱とあざけりと迫害を受け、偽預言者の扱いを受けました。しかし、降伏すべき時があります。イスラエルは少し修理が必要な家なのではなく、いったん更地にしてゼロから再建築すべき家でした。だから、主はバビロンを通して、すべてを火で焼くことを決められました。そして、新しい家を建てるのです。だから、降伏しなさいと仰せられたのです。
22章は、ゼデキヤから3代前の王の時代にエレミヤが預言した言葉です。弱者に対する哀れみは、主を信じる信仰の特徴です。主は、祭司の国であるユダが、この世界の弱者を哀れむ民族となることを願っておられました(22:3)。そうするなら、その家は豊かで強くなります(4)。弱者を哀れまないなら、その家は必ず廃墟となります(5)。しかし、ユダは弱者を哀れまず、奪い取りました。そのユダは滅び、王は他の地に放り出されます。
祈り:主よ、自分勝手に行なうなら、私は滅びるしかありません。主の御言葉に聞き従うことで、いのちの道を行くように助けてください。
一言:降伏して受け入れましょう
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