聖書別日ごとの糧   >>   エレミヤ書[2023]

2023年 12月 20日 (水)

エレミヤ書 24:1-10 (5)
良いいちじく 悪いいちじく

 バビロンによってエルサレムは滅亡しました。その後、主は、主の宮の前に置かれた二かごのいちじくをエレミヤに見せました。そこには、非常に良いいちじくと非常に悪いいちじくがそれぞれ入っていました。良いいちじくは、カルデア人の地に送られたユダの捕囚の民のことを意味します。主は彼らを幸せにするために目をかけて、彼らをこの国に帰らせ、彼らを建て直し、壊すことなく植え、もう引き抜かないと仰せられました。彼らが心を尽くして主に立ち返るので、主を知る心が与えられ、主の民となります。しかし、エルサレムの残りの者やエジプトの国に住みついている者たちは、悪いいちじくのように捨てられるのです。主は彼らを地のすべての王国のおののき、悩みとし、主が追い散らすすべての所で、そしり、物笑いの種、なぶりもの、のろいとなります。剣と、ききんと、疫病で滅ぼし尽くされます。

 なぜ、バビロンに行った人々が良いいちじくで、エジプトとエルサレムに住む人々が悪いいちじくなのでしょうか。バビロンに行った人々は、主のさばきを受け入れた人たちだからです。主の計画は、裁きを通して彼らを訓練し、新しい心をもった民とすることでした。反面、エジプトとエルサレムの人々は、依然として主よりも、目に見える強大国の力に頼り、主の戒めと訓練を避けて、自分なりに行動した者たちでした。戒めと訓練を受けても、自分なりに受けたり行動したりするなら、変化も成長もありません。自分の過ちに対する戒めを聞き入れ、立ち返ることが大切です。悔い改め、訓練を心より受けるとき、私たちの心にある不純物は取り除かれ、金のように出てきます。主の戒めと訓練の目的は、罪を取り除き、きよめられた器のようにならせ、祝福を与えるためなのです。主が本当に望んでおられるのは、祝福であり、呪いではありません。主は、私たちを良いいちじくとし、多くの実を結ばせようとしておられます。主の戒めと訓練を受け入れるとき、良いいちじくに変わり成長します。



祈り:主よ、心からあなたに立ち返ることができるように助けてください。私があなたの民の一人として良い実になりますように。

一言:望みをくださる神様


<<(1)    前のページ(22)    23    次のページ(24)    (27)>>

聖書別日ごとの糧