聖書別日ごとの糧   >>   エレミヤ書[2023]

2023年 12月 26日 (火)

エレミヤ書 25:1-14(3)
絶えず語りかけた

 エレミヤは23年間、主の御言葉を絶えず、しきりに伝えました。しかし民は御言葉を聞かなかったと指摘しています。主は昔から預言者を遣わして、ご自分の言葉をご自分の民に届けましたが、彼らは話を聞こうとせず、耳を傾けもしませんでした。イスラエルは神様に聞き従うことなく、自らの力と知恵で自分たちの生活を築こうとしました。努力することや自分なりの考えを持って生活することは、それ自体悪いことではありません。しかし、神様の言葉を聞かずにそのようにするなら、愚かです。造り主から離れては、的外れな人生を生きるしかないからです。神様の言葉は、生きていて、力があります(ヘブル4:12)。人を癒し、回復させます。何よりも、罪から救い、自由を与えます。神様は、イスラエルの民が悪の道と悪い行いを捨て、神様のもとに戻ってきて、乳と蜜の流れる約束の地、カナンで幸せに暮らすことを願っておられました。それで、彼らが虚しい偶像を崇拝しないで、神様の御言葉に聞き従って生きるように言われたのです。

 イスラエルは神様の特別な民、契約の民でありましたが、主に聞き従わないので、懲らしめと訓練を受けます。神様は北のすべての種族とネブカドネツァル王を呼んで彼らを攻めさせ、聖絶して、恐怖とし、あざけりとし、その地を廃墟とされます。彼らの喜びと楽しみを奪って行かれます。その地は廃墟とされて70年の間、バビロンの王に仕えるでしょう。しかし、70年が終わるとバビロンの王と国と地を彼らの罪のゆえに罰し、永遠に荒れ果てた地とされます。これらはエレミヤを通して与えられ、記録され、主の御言葉に従って行なわれます。



祈り:主よ、世の中は全く語ることのない神々であふれていますが、あなたは生きておられる主、語ってくださる主です。御言葉が私の行くべき道、やるべき事を教えてくれます。感謝します。

一言:語りかけてくださる主の御言葉を聞く



2023年 12月 27日 (水)

エレミヤ書 25:15-38(15)
憤りの杯

 神様はエレミヤに憤りの杯を与え、すべての国々に飲ませました。そのぶどう酒を飲んだ後、彼らは神様が送った剣のために、即ち戦争のためにふらつき、狂った人のようになります。エレミヤはその杯を受け取り、エルサレムとユダの王たちと高官たちに飲ませました。また、エジプトとカナン人だけでなく、すべての国々の王たちと高官たちにも飲ませました。最後には、世界の王(バビロンの王)が飲むことになります。神様の憤りの杯は国々の中で戦争を起こし、バビロンを通してこのすべての国々を征服した後、バビロンもその高慢のために懲らしめられます。

 憤りの杯を必ず取って飲まなければならない理由は、神様が剣を呼び寄せ、エルサレムから始め、世界のすべての住民を必ず打たれるからです(29)。エルサレムで鳴らした神様の叫びが地の果てにまで響き渡りますが、これは主がすべての肉体を裁かれ、悪人を剣に渡されたからです。これから全世界に神様の憤りの杯が注がれるでしょう。エレミヤは彼らの牧者たちに、泣き叫んで灰の中を転げ回れと言われます(34)。これは、彼らが殺される日と散らされる期限が満ちたからです。牧者たちは逃げることもできず、喪に服すでしょう。平和な牧場が主の燃える怒りによって荒れ廃れます。主は若獅子のように怒りと激しい憤りで彼らの地を廃虚とされます。イエス様は人間の罪に対する神様の憤りの杯を取り、飲んで私たちの代わりに十字架で死なれました。神様は私たちの罪に対して憤られますが、その憤りの杯をイエス様が飲んでくださったのです。



祈り:父なる神さま、私はあなたの怒りの杯を飲むべき者です。あなたに対して罪を犯したからです。でも、イエス様が私の代わりに杯を取り、飲んで下さったので、私はもうあなたの御怒りを受けることはありません。この大きな恵みに感謝します。私の罪と罰を背負って下さったイエス様、ありがとうございます。

一言:憤りの杯を代わりに飲まれたイエス様


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