聖書別日ごとの糧   >>   エレミヤ書[2023]

2023年 12月 29日 (金)

エレミヤ書 27:1-22(12)
仕えて生きよ

 神様はエレミヤに、縄とかせを作って首につけるように言われます(2)。このかせは、ユダだけでなく周辺諸国も一緒にバビロンの支配を受けることになることを象徴しています。神様はエレミヤを通して、バビロンに対抗しないように周辺の国々とユダの民に言われます。大きな力と伸ばした腕で万物を治める神様がユダの民をバビロンの王ネブカドネツァルに与えられたからです(5)。したがって、バビロンの王に仕えることは、結局は神様の御旨に服従することです。ユダが生きる道は、バビロンを通して懲らしめる神様の御手を謙遜に受け入れることです。

 ところが、偽預言者たちは王と民に、バビロンの王に仕えることはないと偽りの預言をしました(9)。奪われた宮の器も速やかに取り戻されると預言しました(16)。人は本能的に、仕えるよりも仕えてもらいたいと思うものです。支配されるよりも、支配する側になろうとします。しかしこの時、神様は「仕えて生きよ。」(12)と命じられました。神様の御旨に反してバビロンの王に仕えない民や王国は、神様が剣と飢饉と疫病で罰せられることになります(8)。偽りの預言者たちの預言は聞く耳には心地良いのです。彼らは神様の御言葉を伝えるのではなく、人々が聞きたい言葉、自分たちが期待する言葉を伝えるからです。しかし、彼らの言葉を聞く者の最後は悲劇です。私たちは偽預言者たちの言葉ではなく、神様の御声に聞き従って生きるべきです。死の陰の谷を歩むような状況を歩まなければならないとしも、主がともにおられますから、恐れることはありません(詩23:4)。



祈り:父なる神様、あなたが私と共にいて下さるので、悪い環境や悪い条件の中にあっても、恐れる必要がないことを感謝します。私が御言葉と愛を持って人々に仕え、主をまだ知らない人々に、あなたのことを伝えることが出来るように助けてください。

一言:主の御心の通りに仕える


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