聖書別日ごとの糧   >>   エゼキエル書[2014]

2014年 09月 13日 (土)

エゼキエル18:1-32
行ない通りに報いよう

1.自分の行なった通りに帰される(1-20)
 イスラエルには、「父が酸いぶどうを食べたので、子どもの歯が浮く。」という諺がありました。当時の民たちは、「今の辛い状況は、先祖たちの罪によるものだ」と、先祖たちのせいだけにしていました。しかし、神様は、彼らにはっきりと言われました。「すべてのいのちはわたしのもの。父のいのちも、子のいのちもわたしのもの。罪を犯した者は、その者が死ぬ。」(4)。彼らが、父に従って善を行なわず罪を犯すなら、その罪によって必ず死ぬようになります。彼らが父の犯した罪を見て恐れ、御言葉に従って生きるなら、自分の義によって、生きるようになります。また、悪者であっても、罪を悟って、行なった罪から立ち返り、神様の御言葉に従って生きるなら、死にません。反対に、義人であっても、義から離れて罪を犯し、悪者の道を歩むなら、生きることができず、死にます。悪者であっても、義人であっても、自分の行ないによって、報いを受けます(20)。
2.罪から離れることを、なぜ喜ばないのか(21-32)
 神様は悪者に対して、言われます。「わたしがなぜ、悪者が死ぬことを、少しでも喜ぶのか。彼が立ち返り、その道から離れて生きることを、なぜ喜ばないのか。」 
 それで、罪人がすべきことは、立ち返って、悔い改め、全ての罪から離れることです。神様は、死ぬ者が死ぬことを喜ばれません。犯した全ての罪を捨て、心とたましいを新たにして生きることを、願われます(31)。

祈り:主よ!私がこの御言葉を聞いて、自ら立ち返り、主の御言葉によって生きるように、助けてください。

一言:罪人が立ち返ることを喜ばれる神様


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