2018年 10月 01日 (月)
私は神々しい幻を見た
エゼキエルは人生の中で最も絶望的な瞬間を迎えていました。彼は第2次捕囚としてバビロンに連れて行かれました 。彼は当時30歳で、ユダヤにいれば祭司長として神殿で神様に仕えていたはずです。しかし、今は遠い異邦の地で悲惨な捕囚生活をしていました。国は滅び、どこを見渡しても望みはありませんでした。エゼキエルは、神様はもうこの世を治めておられないと思い、ケバル川のほとりで、悲しみと絶望の涙を流していたかもしれません。このような彼に、神様が現われて下さいました。激しい風とともに、大きな雲と火が、ぐるぐるとひらめき渡りました。四つの顔と四つの翼を持つ四つの生きものが、神様の命令に従って一糸乱れぬ動きをしました。四つの生きもののそばには、それぞれ一つずつ輪があり、生きものの頭の上には澄んだ水晶のように輝く大空のようなものがありました。その大空のはるか上のほうには、サファイヤのような何か王座に似たものがあり、その王座に似たもののはるか上には、人間の姿に似たものがありました。その姿は火のようでその方の回りには輝きがありました。また、その方の回りにある輝きのさまは虹のようでした。 大空の上の王座はすべての宇宙と世界を治められる神様の王座です。神様はさばきを象徴する火と救いの約束を象徴する虹で、この世を治めておられるわけです。
最も絶望的な瞬間、神様はエゼキエルに、はるか上の王座におられる神様を見上げるようにしてくださいました。この神様を見上げた時、エゼキエルは絶望を克服し、新しい希望を持つようになりました。悲劇の地で新しいビジョンも抱くようになりました。 大変な時、私たちは王座の上におられる大きな威厳のある神様を見上げなければなりません。今もなお生きておられ、この世を治めておられる神様を見上げなければなりません。そうすれば私たちに望みと力と信仰が生まれるはずです。
適用 : 絶望していますか
一言 : 神様を見上げてください
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