聖書別日ごとの糧 >> エゼキエル書[2018]
2018年 10月 08日 (月)
エゼキエル書8:1-18(16)
神殿の堕落
神殿の堕落
王はこれらを見てなかったでしょうか。見ていたとしたら、なぜ王はそれを黙認したのでしょうか。イスラエルの家の七十人の長老も、シャファン(ヨシヤ王の時の書記官)の子ヤアザヌヤも偶像に仕えていました。彼らは「主は私たちを見ておられない。主はこの国を見捨てられた」(12b)と言いながら、神様が忌みきらうべきことを行っていたのです。また、人々が様々な異邦の神に向かって礼拝している姿をも、主はエゼキエルに見せました(14-(16)。
16節には、「背を向けて」とありますが、憎み合うときや、喧嘩した後などに、私たちはお互いに背を向けます。神殿の門(玄関)と祭壇の間は、神殿で一番重要なところです。全焼のいけにえ、和解のいけにえ、罪の贖いのためのいけにえを捧げる時には祭壇の周りに血を注ぎます。そして祭壇の上にささげものを置いて火で焼きます。そのようにしてから聖所の中に入ります。ここは主を見上げる所であって、そこで聖所に入る準備をします。そういう聖なる場所で、彼らは主に背を向けたのです。ですから、神である主も、彼らが神の耳に大声で叫んでも、神様は彼らの言うことを聞かないのです(18)。
私たちのささげる礼拝はどうでしょうか。神の神殿でもある私たちの心と身体は聖くなっているでしょうか。イエス・キリストの血潮によって贖われ、聖められたことを信じ受け入れ、神様に向かって賛美し祈り、全身全霊で神である主だけに仕えていきましょう。
適用 : 私の心の神殿にはただ神様だけがおられますか
一言 : ただ神様だけに仕えよ
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