聖書別日ごとの糧   >>   エゼキエル書[2018]

2018年 10月 14日 (日)

エゼキエル書 14:1-23(4)
躓かせる石のような罪

 神様が裁かれるとき、裁かれる責任は各自が負います。例えば、国が、不信に不信を重ねて神様に罪を犯し、そのため神様がその国に手を伸ばし、そこのパンのたくわえをなくし、ききんを送り、人間や獣をそこから絶ち滅ぼす時に、たとえ、そこに、ノアとダニエルとヨブのような正しい人達がいても、彼らの義によってその国の人々が救い出されることはありません。この三人は自分たちの義によって自分たちのいのちを救い出すだけです。このような原則は、猛々しい獣や剣、疫病による裁きのときも同じです。自分の義によって自分の子供を救うこともできません。このような四つの重い罰、すなわち、剣と飢饉と猛々しい獣、そして疫病でエルサレムが裁かれる時、わずかな者がのがれ、息子や娘を連れ出しますが(12:16)、そんな彼らの行いを見て、神様の災いがかえって良いことだと考えるようになります。エルサレムの滅亡は、理由無く起こった事ではなく、彼らの罪のゆえでした。罪の躓きの石、つまり罪を犯させる罠のような偶像を悔い改めなければ神様のさばきを免れません。信仰の共同体の中にいるから救われるのではなく、自分に個人信仰があってこそ救われるのです。

適用:躓かせる石のような罪がありますか

一言:悔い改めよ


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