2018年 11月 27日 (火)
わたしの名のためにそうしなかった
神様は荒野でおきてと定め、安息日を与えられましたが、イスラエルの民は主に逆らいました。主は憤りを彼らの上に注ぎ、彼らを断ち滅ぼそうとしましたが、主はご自身の名のために、そうされませんでした。主はモーセのとりなしの祈りを聞き、考えを変えられたのです(出32:1-14)。だが、主はイスラエルの不信仰と偶像崇拝のために、乳と蜜の流れる地に彼らを導き入れないと誓われました(民14:20-38)。それでも、主は彼らを惜しんで、滅ぼさず、荒野で彼らを絶やされませんでした。
荒野で生まれた次の世代も同じように逆らいました。主は憤りを彼らの上に注ごうとされましたが、主はご自身の名のために、そうされませんでした。しかし、神様は逆らい続けた民を諸国の民の中に散らし、国々へ追い散らすと荒野で誓われました。それでも、イスラエルがカナンの地に入ることができたのは、神様がアブラハムに約束された契約があり、滅びるしかない民への主からの恵みとあわれみがあったからです。イスラエルの歴史を振り返ると、彼らの根の深い罪のために、よくないおきて、それによっては生きられない定めとなってしまいました。すべての初子を火の中に通らせる罪をイスラエルが犯したことを主は赦されました。このように彼らを滅びるままに放置されたのも、神が主であることをイスラエルが知るためでした。汚れた情欲のままに放置することほど、人を不幸にするものはありません。それで、主はここまでされてでも、神が主であることを彼らに知らせようとされているのです。
適用:私がよくできた人だから救われたと思っていませんか
一言:ただ主の恵みとあわれみによるのです
2018年 11月 28日 (水)
あなたがたの悪い行ないによってではなく
神様は、力強い手と伸ばした腕、注ぎ出る憤りをもって、イスラエルを国々の民の中から連れ出し、その散らされている国々から民を集められます。再び彼らと契約を結び、契約の民とさせてくださいます。そうしてイスラエルの全家はシオンで神様に仕えます。神様はイスラエルのうちに、諸国の民が見ている前で、主が聖なることを示します。イスラエルは、自分の身を汚した自分たちの行いと、すべてのわざとを思い起こし、自分たちの行ったすべての悪のために、自分自身をいとうようになります(43)。過去の罪な生き方を嘆く思いを持つようになります。悪い行いや、腐敗したわざによっては、イスラエルはすでにさばきを受け、滅びを受けてもおかしくありませんでした。しかし、神様は彼らの行いによってではなく、ただ主の名のために、彼らをあわれまれました(44)。アブラハムと結ばれた契約を成就され、罪ばかりを犯す民に向かい一方的にも恵みを施されました。この恵みを悟ってこそ、彼らも主が神であることを知ることになるのです。
適用:偶像を崇拝するイスラエルをさばかれ、回復させる神様はどんな方で
一言:あわれみ深い神様
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