聖書別日ごとの糧   >>   エゼキエル書[2018]

2018年 12月 01日 (土)

エゼキエル書23:1-49(35)
淫行の責めを負え

 ユダがこれほどの深い霊的な淫行に陥ってしまった理由は何でしょうか。神である主を忘れ、自分のうしろに投げやったからです(35)。自分たちを救ってくださった主を忘れたとき、この世のものにより頼んでしまうのです。主は、自ら去ってゆく者を無理やりご自分のもとに留めることはせず、私たちが恋い慕うものに渡されます。しかし、恋い慕ったものはしばらくの間は快楽となりますが、最後にはその結果の責任を負うことになります。私たちが恋い慕うものは、結局は私たちを駄目にし、みじめにさせ、破壊します。名声も、お金も、仕事も、世も、私たちを愛してはくれません。むしろ、健康や時間、神様との関係など、多くの犠牲を容赦なく求めてきます。神様こそが、私たちを愛し、助け、平安を与えて下さる方です。イエス・キリストがその証です。私たちがそんな主であられる神様だけを慕い求めるように祈ります。

適用:霊的な淫行に陥っていますか

一言:その罪を負うことになります


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