2010年 06月 03日 (木)
ニネベを惜しまれた神様
Ⅰ.私のいのちを取ってください(1-4)
ヨナは、神様がニネベにわざわいをくだされないのを見て、非常に不愉快になって怒りました。彼は、ニネベが悔い改めないことを願ったのに、すぐに彼らが悔い改めたことによって、わざわいを思い直されたと不平をこぼしました。それで「今、どうぞ、私のいのちを取ってください。」と言いました。ヨナの気持ちは理解できます。しかしそれは心の狭い民族主義者です。自分は救われても、ニネベが救われてはならないという独善的で、利己主義者です。このように狭い心では、聖なる神様の救いの御業に用いられることはできません。
Ⅱ.惜しまないでいられようか(5-11)
ヨナは、ニネベの町の中で何が起こるのかを見きわめようと、町の東のほうに仮小屋を作り、その陰の下に座っていました。彼は最後までニネベが滅びる姿を見たいと思っていたようです。その時、神様はとうごまを通して、ヨナの心がどれだけ矛盾していて、利己的であるのかを悟らせようとされました。10,11節を読んでみましょう。神様はイスラエルだけの神様ではなく、全人類の神様です。神様は今でも、右も左もわきまえない民族を惜しまれ、彼らが悔い改めて救われることを願われます。私たちの周りには、右も左もわきまえない人々、民族が多くいます。彼らは自分に悪を行なったり、私たちの何の関係もない人々だから、私たちは彼らを嫌ったり、無関心になることもあります。
しかし主は彼らも惜しまれ、救われることを願われます。
祈り:主よ!私の狭くて、無関心な心を悔い改めます。ニネベのように受け入れにくい人々や民族でも惜しむ心をください。
一言:ニネベも惜しまれる神様
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