聖書別日ごとの糧   >>   ハバクク書[2020]

2020年 06月 29日 (月)

ハバクク書2:6-20(20)
しかし主は、その聖なる宮におられる

 預言者ハバククは、神様の幻を通して高慢で悪しきバビロンの最後を見るようになりました。そして将来すべての民族が皮肉たっぷりに風刺してその最後を歌うようになることが分かりました(6)。神様は彼らに臨む五つの災いについて言われました。一つ目は、彼らは自分の所有でないものを略奪しますが、噛みつくものが突然起き上がり、逆に略奪されるようになるのです。2つ目は、彼らは他の民族から不正な利得を貪り取ったもので安全な高い所に自分の家を建てて災難を避けようとしますが、恥ずべき死を受けるのです。3つ目は、彼らは暴力や圧政によって町と都を建てますが、結局は火で焼かれて何も残らなくなるのです。4つ目は、彼らは友であるはずの隣国に酒を飲ませて酔わせ、裸で無力な恥ずかしい姿を見ようとしますが、神様は怒りの杯に恥辱を混ぜ入れてめぐり来るようにされます。5つ目は、彼らは木や石でものを言わぬ偽りの神々をつくって崇拝しながら災いに遭うのです。悪人たちがいくら高慢で強く見えても、神様の御前ではバケツの水一滴のようであり、秤の上のごみのように見なされます(イザヤ40:15)。これが悪人の実存について義人が持つべき信仰です。
 反面、神である主はどんな方ですか。主はその聖なる宮におられます。悪人に勢いと力がある世の中を見る時、神様はおられない、あるいは、おられても何もなさらないように思われます。しかし神様は山のように変わらずそこにおられます。今おられ、昔おられ、やがて来られる方、全能者です(黙示1:8)。見えないけれども熱心に働いておられます。このように、神様がどんな方であるか、神様がなされることがどのようなものであるかを知る時、すべての不平が止まります。そして静かに、神様が認めてくださる義人の道を歩むことが出来ます。


適用: 悪人に栄光があるように見えますか

一言: 主の御前で静まれ


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