聖書別日ごとの糧   >>   マラキ書[2010]

2010年 07月 06日 (火)

マラキ3:1-5
契約の使者が来ている

Ⅰ.ご自分の民をきよめる(1-3)
 神様はユダの民たちに「メシヤを遣わす」と約束されました。彼らはその約束の通りにメシヤを求め、慕いました。メシヤは、先駆者が道を整えれば、ある日突然遣わされます。「契約の使者」とはメシヤを指します。メシヤは金を精錬する火、布をさらす灰汁のようです。このようにキリストはご自分の民を精錬し、きよめます。キリストは神様の御言葉と霊的な訓練でご自分の民の罪を取り除いてくださいます。そしてその心からすべての不従順、汚れた物、悪い物を取り除かれます。どんなに汚れて、醜い人であっても、契約の使者キリストの御言葉と訓練を受けるなら、たましいと内面がきよめられ、美しい人に生まれ変わります。キリストの訓練を受けることは、大きな祝福です。
Ⅱ.悪をさばかれます(4,5)
 キリストは、呪術者、姦淫を行う者、偽って誓う者たちをさばかれます。雇い人の賃金を正当に払わなかったり、不当に少なく払うことで、雇い人をしいたげる者、やもめやみなしごを苦しめる者、在留異国人を押しのけて、神様を恐れない者たちをさばかれます。世の中には不正なことが多くあります。不正なことによって、弱い者たちがしいたげを受けますが、神様はその全ての悪に報いてくださいます。キリストは弱い者たちを保護され、しいたげられている者たちの悔しさを晴らしてくださいます。

祈り:主よ!主が私を訓練して、中の人をきよめてくださることを感謝します。私が主の訓練をよく担うように助けてください。

一言:契約の使者が来られれば



2010年 07月 07日 (水)

マラキ3:6-4:6
主を恐れる者

Ⅰ.完全なる十分の一(3:6-12)
 私たちが神様に立ち返ろうとするなら、神様から盗んだ物を返さなければなりません。それは、完全なる十分の一をささげる、ことです。私たちが完全なる十分の一をささげる時、神様は天の窓を開き、あふれるばかりの祝福を注いでくださいます。十分の一をささげようとする時、惜しむ心が生じることもあります。しかし十分の一は本来神様のものです。十分の一をささげないことは祝福の門を閉ざすことであり、ささげることは祝福の門を開くことです。十分の一をささげるなら、誰も私たちに危害を与えるものはいません。私たちの地が喜びの地となり、私たちが「しあわせ者」と言われるようになります。
Ⅱ.記憶の書に記された(3:13-4:6)
 ユダの民は神様に仕えるのはむなしいと考えました。彼らが見る時、高ぶる者がしあわせになり、悪を行う者が栄えます。しかし神様は、ご自分を恐れ、主の御名を尊ぶ者たちのために、主の前で、記憶の書に記されました。そして特別に神様のものとして、人が自分に仕える子をあわれむように、あわれまれます。何よりもさばきの時がくれば、高ぶる者と悪を行う者を焼き尽くされます。神様を恐れる者には義の太陽が上り、癒しの光線を発することで、牛舎の子牛のようにはね回るようになります(4:2)。

祈り:主よ!私が神様を恐れ敬うことで、完全なる十分の一をささげます。天の窓を開き、祝福を降り注いでください。

一言:主を恐れる者


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