聖書別日ごとの糧   >>   マタイ[2005]

2005年 04月 13日 (水)

マタイノ福音書6:1-18
本当の信仰生活

「人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。」(1)
Ⅰ.施し(1-4)
 施しをしながら、人々に見せるためにラッパを吹き、マスコミに名前を出す人々がいます。このような人々は人の賞賛を聞くことで、すでに自分が求める報いを受けたのです。それで神様から受ける報いがありません。私たちは施しをする時、右の手のしていることを左の手に知られないように、密かにしなければなりません。隠れた所で見ておられる神様がその人に報いてくださいます。
Ⅱ.祈り(5-8)
 祈りはクリスチャンたちのたましいの呼吸であり、神様との対話として、霊的な生活に欠かせない要素です。ところがパリサイ人たちは人々に見せようと会堂や大通りの四つ角に立って祈ることを好みました。それはたましいの呼吸でもなく、神様との対話でもありません。祈りは密かに神様にささげなければなりません。また異邦人のように同じことばを、ただくり返してはならず、はっきりとした望みと信仰を持って祈らなければなりません。隠れた所で祈る時、そこから来る祝福は、「祈りをよくする」と人々から聞く賞賛とは比べることができません。
Ⅲ.断食(16-18)
 断食する時、人の同情を求めようと顔をやつれさせ、悲しい顔をしてはいけません。むしろ普段よりさらにおしゃれをし、密かにしなければならないのです。人の評価と賞賛を求める者は神様から受ける報いはありません。

祈り:主よ!人の報いを求めず、神様の報いを求め、神様の御前で真実に生きるように助けてください。

一言:人の報いより神様の報いを受けよう!



2005年 04月 14日 (木)

マタイノ福音書6:9-15
こう祈りなさい

 イエス様は弟子たちに「こう祈りなさい」と言って、祈りの模型を教えてくださいました。これを「主の祈り」と呼んでいます。
 ①天にいます私たちの父よ:祈りには、はっきりとした対象がなければなりません。私たちは、創造主であり、私たちのたましいの父である神様の愛を信頼して、その方に祈らなければなりません。
 ②御名があがめられますように:これはクリスチャンの最初の祈りの課題です。私たちの神様は全ての被造物から礼拝と仕えとを賛美を受けるのにふさわしい方です。私たちは、私の中に、そして私を通して神様の御名があがめられるように祈り、またそのような生活をしなければなりません。
 ③御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。:私たちは天の御国を望み、この地に神様の御国が立てられ拡張されるように、そして神様の御心が行なわれるように祈らなければなりません。
 ④日ごとの糧をきょうもお与えください:私たちは日々全ての必要なものを満たしてくださる神様を信じ、感謝する心で求めなければなりません。
 ⑤私たちの負いめをお赦しください:肉体のいのちのために日ごとの糧を求めるように、霊的ないのちのために罪の赦しを求めなければなりません。
 ⑥私たちを試みに会わせないで:悪魔は私たちをつまづかせるために、虎視眈々と機会を伺っています。この悪魔の試みに会わないように、時ごとに神様に祈らなければなりません。
 ⑦悪からお救いください。国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。

祈り:主よ!私の人生を通して主の御名があがめられることを願います。

一言:御名があがめられますように



2005年 04月 15日 (金)

マタイノ福音書6:19-34
何をまず第一に求めるのか

Ⅰ.自分の宝を天にたくわえなさい(19-24)
 人々は財産が幸福をもたらすと考え、地上に自分の宝をたくわえようとします。しかしイエス様は「自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。」と言われます(19)。地上にたくわえられた宝は安全ではありません。財産を救済と福音の御業のために使うことで、天にたくわえることが最も安全なのです。財産を天にたくわえる時、何よりも天から来る本当の幸せを味わうことができます。人は神様と財産の両方に仕えることができません(24)。財産を積極的に神様のために使わなければ、物質崇拝者になるしかないのです。
Ⅱ.神の国とその義とをまず第一に求めなさい(25-34)
 主にだけ仕えるなら、どのようにして食べて行けばいいのか、という心配が生じます。しかし神様は何もしない空の鳥も食べさせ、野のゆりも着せてくださいます。まして主の愛する子どもたちにはどのようにされるのでしょうか。心配は神様を信じないところから生じます(30)。それで私たちは食物や着物のことで心配することより、まず神の国とその義とを求めなければなりません。私たちの人生の目的を、この世に福音を証しして神の御国を拡張させることに置かなければならないのです。まず自分の現実の問題を解決した後に、神様の御国のために行なうという人は現実だけに縛られて、生涯何も価値あることをすることができないのです。どんな現実でも神様の国とその義を求める時、神様はその人に必要な全てのものをくださるのです。

祈り:主よ!私が健全な価値観を持って、まず神様の国とその義を求めることに力を入れます。

一言:神の国とその義とを求めなさい


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