聖書別日ごとの糧   >>   マタイ[2005]

2005年 04月 18日 (月)

マタイノ福音書8:1-13
このような信仰

Ⅰ.らい病人の信仰(1-4)
 一人のらい病人がイエス様のみもとに来て、きよめてくださるように、求めました。当時らい病は不治の病であり、律法によれば汚れた病でした。それでこのらい病人は肉体の苦痛だけではなく、罪意識と羞恥心に捕われて生きなければなりませんでした。ところが彼はイエス様の力と愛を信じ、イエス様のみもとに行きました。イエス様は、彼のみにくく臭いのする体にさわり、言われました。「わたしの心だ。きよくなれ。」(3)すると驚いたことに、彼のらい病がきよめられました。イエス様はどんな難病も癒すことのできる力の主であり、どんなに醜い人をもさわってくださる愛の主です。信仰によって進み出れば、イエス様はどんな人も完全で役に立つ人生を生きるように変えてくださいます。
Ⅱ.百人隊長の信仰(5-13)
 ひとりの百人隊長が、イエス様に、中風にかかったしもべを治してください、と頼みました。当時百人隊長は社会的な地位と権力がある人であり、しもべは物のように扱われた存在でした。それでもその百人隊長はしもべを生かすために、体面を捨てて、イエス様に進み出ました。何より彼の信仰は大胆でした。
「ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは直りますから。」(8b)イエス様は、「わたしはイスラエルのうちのだれにも、このような信仰を見たことがありません。」と言われ、彼の信仰に驚かれ、すぐに御言葉でしもべをいやしてくださいました。イエス様は、信仰の力を信じることを喜ばれ、祝福してくださいます。

祈り:主よ!罪によって汚れた私をきよめてくださり、私が百人隊長のように、御言葉に基づいた信仰を持つように助けてください。

一言:御言葉を信じる信仰



2005年 04月 19日 (火)

マタイノ福音書8:14-22
イエス様の弟子が負うべき痛み

Ⅰ.私たちのわずらいを身に引き受けられたイエス様(14-18)
 イエス様は、熱病で苦しむペテロのしゅうとめをいやしてくださいました。それで人々が悪霊につかれた者たちをイエス様のみもとに連れて来ました。イエス様はこのような人々をみな受け入れ、御言葉で悪霊を追い出し、病気の人々をみなお直しになりました。これは、預言者イザヤを通して言われた御言葉「彼が私たちのわずらいを身に引き受け、私たちの病を背負った。」(17)という御言葉が成就するためでした。イエス様は私たちの弱さを担うために、十字架につけられ死なれ、三日目によみがえられました。この世で弱く、病んでいる者たちは疎外され、悲しみを受けます。しかしイエス様は私たちのわずらいを身に引き受けられ、病をいやしてくださいます。世を恨むより、イエス様に出て行けばいいのです。
Ⅱ.イエス様の弟子になるためには(19-22)
 ひとりの律法学者がイエス様のみもとに来て、どこにでもついてまいります、と言いました。しかしイエス様は、弟子になるためには、枕する所もない貧しい生活を覚悟しなければならない、と言われました。また別のひとりの弟子は、まず父親を葬ってから、イエス様について行くと言いました。しかしイエス様は、「わたしについて来なさい。死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。」と言われました。イエス様の弟子になるためには人情を断ち切る痛みを負わなければなりません。そしてイエス様のことを最優先的に考えなければなりません。痛みなしに、イエス様について行くことができないのです。

祈り:主よ!私のすべての弱さと痛みをいやしてくださり感謝します。今からイエス様について行く弟子になります。

一言:イエス様の弟子になるためには



2005年 04月 20日 (水)

マタイノ福音書8:23-34
権威者イエス様

Ⅰ.大暴風を静められたイエス様(23-27)
 イエス様と弟子たちが船に乗って行く時、大暴風にぶつかるようになりました。船は大波をかぶり、破船する危機に処せられました。弟子たちは死ぬ思いをして恐れに捕われました。ところがイエス様は眠っておられました。弟子たちはイエス様を起こして、助けを求めました。しかしイエス様はむしろ弟子たちをお叱りになりました。「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」そして風と湖をしかりつけられると、大なぎになりました。私たちは人生の航海で数多くの嵐に遭遇します。しかしイエス様が船長なので、私たちは恐れる必要がありません。イエス様の中に本当の平安があるのです。
Ⅱ.霊的な権威者イエス様(28-34)
 イエス様がガダラ人の地にお着きになると、悪霊につかれた人がふたり墓から出て来て、イエス様に出会いました。彼らはひどく狂暴で、だれもその道を通ることができませんでした。イエス様を見ると、彼らは苦しんでわめきました。彼らのたましいはイエス様の救いを求めましたが、悪霊は彼らをとらえ、離さなかったので、ひどく反発しました。しかしイエス様は彼らを放棄されませんでした。悪霊たちと死闘をし、数多くの豚の群れを犠牲にすることで、彼らを生かしました。このイエス様は悪霊を追い出す霊的な権威者です。一人のいのちを救うためには、大きな犠牲が要求されます。イエス様は、病んだ一人のたましいを救うために、多くの犠牲を払い、ついには十字架で、一つしかないいのちさえも、惜しまずに捧げました。

祈り:主よ!恐れと悪霊の支配から私を救ってください!

一言:なぜこわがるのか


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