聖書別日ごとの糧   >>   マタイ[2005]

2005年 04月 30日 (土)

マタイノ福音書11:1-15
おいでになるはずの方はあなたですか

Ⅰ.わたしにつまずかない者は幸いです(1-6)
 バプテスマのヨハネはメシヤの預言者としての使命を担い、牢獄に入れられました。それでもイエス様が何の処置もとられなかったので、彼は疑いを抱いて、弟子たちをイエス様のところに送って、尋ねました。「おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも、私たちは別の方を待つべきでしょうか。」(3)イエス様はヨハネの弟子たちにお答えになりました。「あなたがたは行って、自分たちの聞いたり見たりしていることをヨハネに報告しなさい。盲人が見、足なえが歩き、らい病人がきよめられ、つんぼの人が聞こえ、死人が生き返り、貧しい者には福音が宣べ伝えられているのです。」この御言葉はメシヤが来て、どんなことをされるのかに対するイザヤの預言です(イザ35:5,6)。この答えの後、イエス様は「わたしにつまずかない者は幸いです。」と言われます。イエス様の御業は罪によって病み、死んだ者になった人々を癒し、生かす御業です。これらは今も私たちの中で起きています。自分の個人的な望みや政治的な理想の通りに行かないからと言って、つまずくことがないようにしなければなりません。正しいメシヤ観を持たなければならないのです。
Ⅱ.バプテスマのヨハネよりすぐれた人は出ませんでした(7-15)
 イエス様は、バプテスマのヨハネが疑いに陥ったからといって、無視されませんでした。彼は女から生まれた者の中で最も偉大だと賞賛されました(11)。これは、彼が人気を得ている時でも、試練の時でも、揺れ動かされることなく、自分の使命を担ったからです。

祈り:主よ!私が聖書に基づいたメシヤ観を持つように助けてください。バプテスマのような使命人になるように助けてください。

一言:正しいメシヤ観



2005年 05月 01日 (日)

マタイノ福音書11:16-24
この時代は何にたとえたらよいでしょう

Ⅰ.市場にすわっている子どもたち(16-19)
 イエス様はその時代の人々を市場で遊んでいる子どもたちにたとえられました。当時、ある子どもが笛を吹くと、他の子どもたちは踊り、ある子どもが弔いの歌を歌うと、他の子どもたちは悲しむという遊びがありました。それと同じように人々は、バプテスマのヨハネが来て悔い改めの福音を宣べ伝えた時には胸を痛めて悲しまなければなりませんでした。またイエス様が来られ、喜びと自由をもたらす福音を証しした時には、踊り喜ばなければなりませんでした。しかし彼らはそのようにしませんでした(17)。むしろバプテスマのヨハネが来て食べも飲みもしないと、敬虔な生活をしたので悪霊につかれているのだと言い、イエス様が取税人と罪人たちと共に食べたり飲んだりしていると、食いしん坊で大酒飲みだと非難するだけでした(18,19)。今日でも人々はこの世の欲望と快楽にだけ没頭します。それで福音の真理を伝えても無視し、また批判だけを熱心にします。イエス様はこの時代を見て心配し、胸が張り裂けそうな思いをされるのです。
Ⅱ.悔い改めない村(20-24)
 イエス様はご自身が数々の力あるわざを行なわれた村さえも悔い改めないのをご覧になり、心を痛められました。イエス様は彼らに言われました。「ああコラジン。ああベツサイダ。・・・そのツロとシドンのほうが、おまえたちに言うが、さばきの日には、まだおまえたちよりは罰が軽いのだ。」イエス様の力あるわざを見ても悔い改めない人々はさらに恐ろしい刑罰を受けるようになるのです。

祈り:主よ!この時代に向けられた主の心の痛みをお察しします。私が主の御言葉の前で、いつも悔い改める生活をするように助けてください。

一言:さばきの日には



2005年 05月 02日 (月)

マタイノ福音書11:25-30
わたしがあなたがたを休ませてあげます

Ⅰ.黙示を見る者(25-27)
 傲慢で悔い改めない人々によって心を痛められたイエス様は神様の御旨を悟り感謝をされました。神様は、みずから賢く知恵があると思う者には福音の秘密を隠されます。むしろ幼子のように謙遜に学ぶ心を持った者にはご自分を現してくださるのです(25)。傲慢な者たちはさばきを受け、謙遜な者たちが福音の秘密を知って救いを得ることが神様の御旨です。
Ⅱ.わたしのくびきを負う者(28-30)
 イエス様は自ら知恵があると言って福音を受け入れずにたましいに休みがない人々を慈しむ心で招かれました。「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(28)。人は誰でも重荷を負っています。生存の重荷、罪の重荷を負っています。このような重荷のためにストレスを受け、休みを得ようと多くの努力をします。しかし本当の休みはイエス様のところに行かなければ得ることができません。イエス様は、「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」と言われます。イエス様のくびきは、イエス様の御言葉に聞き従うくびき、イエス様がお与えになる使命のくびきです。このくびきは私たちに負担を与えるように思えます。しかしそのくびきを負う時、イエス様を学ぶことができ、心に安らぎを得ることができるのです。

祈り:主よ!私は傲慢で心に安らぎがありません。今主のくびきを負い、主を学びます。私に本当の安らぎをください。

一言:イエス様のくびきは楽だ


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