聖書別日ごとの糧   >>   マタイ[2005]

2005年 05月 06日 (金)

マタイノ福音書13:1-23
種蒔きのたとえ

 イエス様は湖のほとりで群衆たちに多くのたとえを話されましたが、その最初のたとえが種蒔きについてでした。種を蒔く人が種を蒔きました。ある種は道ばたに落ちましたが、すぐに鳥が来て食べてしまいました。別の種は岩地に落ちましたが、すぐに芽を出したものの、日が上ると枯れてしまいました。別の種はいばらの中に落ちましたが、いばらがふさいだので、育つことができず、実を結ぶことができませんでした。しかし良い地に落ちた種は、百倍、六十倍、三十倍の実を結びました。
 このたとえで、「種」は神様の御言葉を指し、道ばた、岩地、いばら、良い地は神様の御言葉を学ぶ私たちの心を指します。道ばたのような心を持った人は天の御国のことばを聞いても悟ろうとしないので、悪魔に御言葉を奪われるようになります。岩地のような心を持った人は初めは喜んで御言葉を受けますが、困難や迫害がある時にはすぐにつまづきます。いばらのような心を持った人は御言葉を聞きますが、世の心づかいと富の惑わしに陥り、実を結ぶことができない人です。良い地のような心を持った人は御言葉を聞いて悟る人です。彼らは豊かな実を結びます。
 神様の御言葉には無限の生命力があります。私たちの心の畑をよく耕し、神様の御言葉を受け入れるなら、私たちの人生は豊かな実を結ぶようになるのです。

祈り:主よ!主が私に御言葉をくださり感謝します。私に天の御国の秘密を悟ろうとする霊的な望みをくださり、豊かな実を結ぶようにしてください。

一言:天の御国の秘密を悟る者はさいわいです



2005年 05月 07日 (土)

マタイノ福音書13:24-43
天の御国に関する三つのたとえ

Ⅰ.毒麦のたとえ(24-30,36-43)
 ある人が自分の畑に良い種を蒔きました。ところが眠っている間に、敵が来て毒麦を蒔きました。麦が芽生え、実ったとき、毒麦を発見したしもべたちはそれを抜こうとしました。ところが主人はそれを止めました。毒麦を抜く時に、麦も一緒に抜いてしまう恐れがあったからです。主人は収穫の時期まで待って、まず毒麦を集めて焼き、麦は集めて倉に収めました。世の中には善だけではなく、悪が存在します。これを見ながら、私たちはなぜ悪が存在するようになったのか、なぜ正義の神様が悪を放置されるのか、という疑問を持ちます。また国も立ち上がって悪い者たちをみななくしてしまわなければならないと怒りを抱くこともあり、またある時には正しい人と悪い人が区別することができない混乱に陥ることもあります。しかし神様のさばきを信じなければなりません。世の終わりの日には、神様のさばきの台の前で、正しい人と悪い人が分けられます。悪い者たちは地獄に投げ入れられ泣いて歯ぎしりし、正しい人たちは太陽のように輝くのです(42,43)。神様が今すぐにさばかれないのは、正しい人たちと救いを受ける人たちを傷つけないためなのです。
Ⅱ.からし種のたとえとパン種のたとえ(31-35)
 天の御国はからし種のようです。最初はどんな種よりも小さいですが、生長すると、後には大きな木になり、空の鳥が枝に巣を作るようになります。また天の御国はパン種のようです。女がそれを三サトンの粉の中に入れると、全体がふくらみます。天の御国は外的に、内的に、絶えず成長します。

祈り:主よ!この世では麦と毒麦を区別することは難しいですが、最終的にはみな区別されることを信じます。私が麦になれることを願います。

一言:世の終わりにはみな区別される



2005年 05月 08日 (日)

マタイノ福音書13:44-58
天の御国は畑に隠された宝のようなもの

Ⅰ.天の御国のたとえ(44-52)
 他人の畑を掘り出して、そこで宝を発見したら、人はその宝を隠しておいて、自分の持ち物をみな売り払ってその畑を買います。良い真珠を求める商人はすばらしい値うちの真珠を見つけると、持ち物を全部売り払ってその真珠を買います。天の御国は宝物やすばらしい値打ちのある真珠のようです。天の御国はすべてのものを投資してでも得る価値があり、その価値を知る人にならなければ、結局は御国を得ることができません。天の御国は海におろしてある地引き網のようです。網が魚でいっぱいになると岸に引き上げられ、良いものは器に、悪いものは捨てられます。世の終わりの日にも、このように正しい者と悪い者とが厳しくえり分けられます(49)。弟子たちがこれらのたとえをみな分かった時、イエス様は彼らに、自分の倉から新しい物でも古い物でも取り出す一家の主人のようにならなければならない、と言われました。天の御国の価値、義と悪に対する分別は全て聖書にあります。イエス様の弟子たちは聖書をよく知り、熟練してよく教え、人々を天の御国に導いて行かなければなりません。
Ⅱ.イエス様を排斥した郷里の人々(53-58)
 イエス様の郷里の人々はイエス様を人間的によく知っていました。そのためイエス様とその御言葉を無視しました。イエス様はそこでは多くの奇跡をなさいませんでした。彼らは宝物を見つけることができませんでした。

祈り:主よ!天の御国は高価な真珠のように価値あるものです。私が世の中のどんなものをも惜しまず投資し、天の御国を得ることができるように助けてください。

一言:天の御国は高価な真珠のようなもの


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