聖書別日ごとの糧   >>   マタイ[2005]

2005年 05月 22日 (日)

マタイノ福音書20:1-16
ぶどう園で働く労務者のたとえ

Ⅰ.「あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。」(1-7)
 ぶどう園の主人は、ぶどう園で働く労務者を呼び集めました。主人は朝早くから市場に行き、一日一デナリを与える約束をし、労務者たちをぶどう園にやりました。主人は、午前九時、十二時、午後三時にも行って、遊んでいる人がいれば、彼らをぶどう園にやりました。ところが午後五時に、つまり仕事がみな終わる時間にも、主人が市場に行って見ると、遊んでいる人々がいて、彼らを労務者として雇いました。仕事がなく、市場で遊んでいるだけだと、自分が惨めになり、敗北感と劣等感に陥るようになります。生活が無意味なものになるのです。退屈と疲れのために罪を犯すようになります。神様がお与えになった使命を知らなければ、人は市場で遊んでいる人のようです。熱心に働いて忙しく生活しているようでも、神様の使命がなければ、その心は市場で遊んでいる人と同じように無意味で疲れたものになるのです。人は神様の召されと使命がなければならない存在です。神様が私たちを召され使命を任せられたことは本当に貴い祝福なのです。
Ⅱ.自分の思うようにしてはいけないという法がありますか(8-16)
 夕方になり、ぶどう園の主人は労務者たちを呼んで、最後に来た者たちから順に、最初に来た者たちにまで、みな一デナリづつ与えました。一時間だけ働いた人にも一デナリづつ与えたのです。後から来た者にも最初に来た者と同じ恵みを施してくださるのが神様の御旨なのです。

祈り:主よ!とがが多い私を召してくださり、神様のぶどう園で働けるようにしてくださり感謝します。生涯この恵みを感謝するように助けてください。

一言:天の御国のぶどう園で働けるようになった恵み



2005年 05月 23日 (月)

マタイノ福音書20:17-34
本当に偉い人

Ⅰ.あなたの右と左にすわれるようにおことばを下さい(17-28)
 イエス様がエルサレムに上って行かれる途中で、もう一度十字架の苦難と復活について、話されました。ところがヨハネとヤコブの母親がイエス様のもとに来て、ひれ伏して、求めました。「私のこのふたりの息子が、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるようにおことばを下さい。」(21)。彼らは、主の左右に座るためには、まず苦難と死の杯を飲まなければならないことを、知りませんでした。彼らは偉大になり、栄光を受けることを願いましたが、それに伴う十字架は考えていませんでした。イエス様はこのような弟子たちに、本当に偉い人がどんな人であるのか、を教えてくださいます。神様がご覧になる時、本当に偉い人は他の人に仕える人です。本当に偉い人になるためには、仕えるしもべにならなければなりません。イエス様は神様の御子として当然仕えられなければならない方です。しかしイエス様はかえって罪人たちに仕え、自分のいのちを多くの人のために贖いの代価としてお与えになりました(28)。イエス様の仕えによって、全人類が救いを得るようになりました。人の偉大さは地位や能力にあるのではなく、どれだけ多くの人に仕えたのかにあるのです。
Ⅱ.私たちをあわれんでください(29-34)
 エリコの二人の盲人はイエス様に叫んで救いを求めました。群衆が黙らせようとたしなめましたが、叫び立てました。イエス様は彼らの信仰をご覧になり、彼らの目を開かせてくださいました。イエス様は十字架を目前にして辛い時でしたが、彼らに仕え、救ってくださいました。

祈り:主よ!私が主の仕える人生を見習う生涯を歩めるように助けてください。

一言:仕えるために来られたイエス様


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