聖書別日ごとの糧   >>   マタイ[2005]

2005年 05月 26日 (木)

マタイノ福音書22:1-22
王子の結婚披露宴

Ⅰ.天の御国の宴会にふさわしい者(1-14)
 天の御国は、王子のために結婚の披露宴を設けた王にたとえることができます(2)。王はすべてのものを用意した後、しもべたちを招待しておいた人々に遣わして、宴会が始まることを知らせました。ところが招待しておいた人々はそれぞれ自分のことをしようとしたり、王のしもべたちに恥をかかせて殺したりしました。それで王は兵隊を出して、彼らを滅ぼしました。そしてしもべたちを大通りに送り、出会った者をみな招かせました。彼らは招待されていませんでしたが、王子の結婚披露宴に参加する祝福を受けるようになりました。ところが、その中で礼服を着ないで、はいって来た者たちは暗やみにほうり出されました(13)。このたとえで、王は神様を、王子はイエス様を、招待された人はユダヤ人を、さらに広い意味では私たちを指します。神様は、罪の赦しと永遠のいのちなどすべてのものを備えて、私たちを天の御国に招かれました。この神様の招きを尊く思い応じる者、つまりイエス・キリストを信じることによって義の衣(ガラ2:16,ロマ13:14)を着る者たちは天の御国の披露宴にあずかることができるのです。
Ⅱ.カイザルのもの、神様のもの(15-22)
 イエス様は税金の問題でためしてきたパリサイ人たちに、「カイザルのものはカイザルに、神様のものは神様に返しなさい。」と言われました。イエス様は、彼らが国家や社会に対する義務を果たし、神様に対する義務を果たすように助けてくださいました。

祈り:主よ!資格のない罪人を天の御国の披露宴に招いてくださり感謝します。私がイエス様を受け入れることで天の御国の披露宴にあずかるように助けてください。

一言:イエス・キリストの衣を着なさい



2005年 05月 27日 (金)

マタイノ福音書22:23-46
生きている者の神様

Ⅰ.生きている者の神様(23-33)
 復活を信じないサドカイ人たちがイエス様のところに来て、兄が死ねば弟が兄の妻から子孫を残すという当時の律法を引用して、復活の不当性を主張しました(24-28)。彼らは復活を信じないように、おかしな例を作り出したのです。イエス様は、このような彼らが聖書も神様の力も知らないので思い違いをしている、と言われながら、復活の時には、めとることも、とつぐこともなく、天の御使いのようになることを、悟らせてくださいました。また神様がモーセに、「わたしは、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」と言われた御言葉(出3:6)を上げ、信仰の先祖たちがみな生きていることを言われました。一言で神様は死んだ者の神様ではなく、生きている者の神様だと言われます(32)。神様はよみがえりを信じる生きた信仰を持った人々の神様です。よみがえりを信じない者には、神様は何の意味もないのです。
Ⅱ.たいせつな戒め(34-46)
 一人の律法の専門家がイエス様に、「たいせつな戒めはどれですか。」と質問しました。イエス様は、心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ、という御言葉が最もたいせつな第一の戒めだと教えてくださいました(37)。第二の戒めは、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」と言われました。あらゆることを尽くして神様を愛することが最もたいせつな戒めであり、いのちと幸福の道なのです。

祈り:主よ!私がよみがえりの望みの中で、この地上のものに執着せずに、神様の栄光のために生き、心と思いと知力を尽くして神様を愛する生活ができるように助けてください。

一言:生きている者の神様


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