聖書別日ごとの糧   >>   マタイ[2005]

2005年 05月 31日 (火)

マタイノ福音書25:1-30
天の御国のたとえ

Ⅰ.十人の娘のたとえ(1-13)
 天の御国はたとえて言えば、ともしびを持って花婿を迎える十人の娘のようです。ともしびと油を用意しておいた賢い五人の娘は、花婿が夜中に来た時、花婿を迎え入れ、婚礼の祝宴に入ることができました。しかしともしびだけを持って、油を用意しなかった娘たちは油がなくなって新郎を迎え入れることができず、婚礼の祝宴に入ることができませんでした。主はいつ来られるのか分かりません。それで私たちは賢い娘のように、いつでも主を迎え入れることができるように聖霊の油を用意しておかなければならないのです。絶えず霊的な生活をしていなければなりません。
Ⅱ.タラントのたとえ(14-30)
 主人が旅に行く時、しもべたちにおのおの能力に応じて、五タラント、二タラント、一タラントのお金を渡しました。五タラントを預かったしもべと二タラントを預かったしもべは商売をし、それぞれ100%の利益を残しました。しかし一タラントを預かったしもべはそのタラントを、地を掘って隠して置きました。時になって、主人が帰って来て清算をした時、商売をして利益を残したしもべたちは、「良い忠実なしもべだ」と賞賛され、主人の喜びにあずかることができました(23)。しかし商売せず、利益を残さなかったしもべは「悪いなまけ者のしもべだ」と非難され、持っていたものも奪われてしまいました(26-28)。私たちは主から命、健康、才能、福音などのタラントを預かりました。これを積極的に活用して主に益となるようにするなら、主が再臨される時、祝福された者になることができるのです。

祈り:主よ!私が、主から預かったタラントを隠さずに、主のために積極的に使って、主に利益を残すしもべとなるように助けてください。

一言:良い忠実なしもべだ



2005年 06月 01日 (水)

マタイの福音書25:31-46
最後のさばき


イエス様が最初に来られた時には仕えるしもべとして来られました。しかし再び来られる時には御使いたちを伴って、ご自分の栄光の座に着かれます。そして全ての国々の民をその御前に集められ、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、人々を二つに分けてその左右に置かれるのです。

 イエス様は右側にいる人々には、「世の初めから備えられた御国を継ぎなさい」と言われます(34)。この国は罪も涙も苦痛も死もなく、愛と平和と恵みと喜びと永遠のいのちが満ちた完全な楽園です。彼らはこのような祝福を受ける理由は何でしょうか。主が空腹で、渇いていた時、旅人であった時、牢にいた時、助けたからです。

 それに対して、正しい人たちは主にそのようなことをしたことがないと言いました。しかし主は「これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。」と言われます(40)。最も小さい者は実際に助けが必要で、愛が必要な人です。イエス様はこのように最も小さい者の御姿で私たちに現われます。私たちが最も小さい者に仕えることが、私たちの主に仕えることであり、主はそのような人々に備えられた天の御国をくださるのです。

 一方、主は左にいる者たちに、「のろわれた者ども」と言われ、「悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ。」と命じられます。彼らはイエス様をよく信じると言いながら、実際の生活では最も小さい者を無視し、顧みなかったからなのです。


祈り:主よ!私が最も小さい者を無視したことを悔い改めます。今主に仕えるように、彼らに仕え、愛を施します。

一言:正しい人は永遠のいのちに、悪者は刑罰に


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