聖書別日ごとの糧   >>   マタイ[2009]

2009年 03月 29日 (日)

マタイノ福音書10:1-15
十二使徒をお遣わしになったイエス様

Ⅰ.天の御国が近づいたと宣べ伝えなさい(1-8)
 イエス様は十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊どもを制し、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直す権威をお授けになりました(1)。そして彼らをお遣わしになりましたが、異邦人の道やサマリヤ人の町ではなく、イスラエルの家の滅びた羊のところに行きなさいと命じられました(5,6)。神様はイスラエルを祭司の王国として立て、彼らを通して全世界を救おうとされました。しかし彼らはこの使命を失ってしまいました。今イエス様は弟子たちをお遣わしになり、彼らに福音を伝えさせることで、神様の御救いの計画を再び起こそうとされました。イエス様は彼らに「『天の御国が近づいた。』と宣べ伝えなさい。」と言われました。イスラエルには多くの現実問題がありました。しかし彼らに天の御国の福音を宣べ伝えなさいと言われたのは、その心に天の御国がなければ、いくら現実が良くても人間らしく生きることができず、幸福がないからです。イエス様は、また弟子たちに、悪霊を追い出しなさいと言われました。弟子たちは、羊たちを霊的に助けるだけではなく、実質的にも助けなければならないのです。
Ⅱ.金貨や銀貨や銅貨を入れてはいけません(9-15)
 イエス様は弟子たちが伝道旅行をする時、お金や二枚目の下着やくつや杖を持たずに行きなさい、と命じました。イエス様の弟子たちは物に頼ることより、神様だけに頼らなければなりません。そうすれば純粋に大胆に福音を宣べ伝えることができるのです。

祈り:主よ!私が悪霊の統治下で苦しむ世の中に出て行き、天の御国の福音を伝え、彼らを主に導きます。

一言:天の御国を宣べ伝えなさい。



2009年 03月 30日 (月)

マタイノ福音書10:16-23
蛇のような知恵、鳩のような素直さ

Ⅰ.蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい(16)
 福音を宣べ伝えるために、弟子たちを世の中にお遣わしになりながら、イエス様はまるで狼の中に羊を送り出す心情でした。それでもイエス様が弟子たちをお遣わしになるのは、弟子たちを懐で育てるより、強い者として育てられるためであり、また弱い弟子たちでも送り出さなければならないほど、福音を宣べ伝えることが緊急を要するからです。イエス様は世の中に出て行く弟子たちに、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい、と言われました。世の中は、悪く巧妙なサタンの支配下にあります。このような世の中で福音を宣べ伝え、救いの御業を成し遂げるためには、蛇のような賢さがなければなりません。しかし知恵があればいいからといって、不義を行なってはいけません。福音の働き人は鳩のように素直でなければなりません。そうすれば聖霊が共におられ、サタンの働きに打ち勝つ力と知恵をくださるのです。
Ⅱ.最後まで耐え忍びなさい(17-23)
 イエス様は、弟子たちが福音を宣べ伝える時、世の権力者たちに引き渡され、迫害を受けるようになると言われました。弟子たちにとって、それがむしろ彼らに福音を宣べ伝える機会となるので、積極的に福音を証ししなければなりません。どのように話そうかと心配する必要はありません。聖霊が話すべきことをくださいます。弟子たちは、また愛する家族たちから捨てられ、全ての人々から憎まれるようになります。しかし妥協してはならず、耐え忍ばなければなりません。そうすれば、主が救ってくださいます(23)。

祈り:主よ!私でも遣わして、福音を宣べ伝えようとされる主の御旨を受け入れます。この使命を担うように信仰と忍耐をください。

一言:最後まで耐え忍ぶ者



2009年 03月 31日 (火)

マタイノ福音書10:24-33
恐れることはありません

Ⅰ.だから恐れることはありません(24-31)
 宗教指導者たちはイエス様をベルゼブルと呼びながら迫害しました。師であるイエス様がこのような誤解や迫害を受けたので、弟子たちが迫害されるのは当然なことです。しかしイエス様は彼らを恐れてはいけませんと言われました(26)。彼らは私たちの体を殺すことができますが、私たちのたましいを殺すことができないからです。私たちの体とたましいをゲヘナで滅ぼすことのできる方は、ただ神様ひとりだけです。それで私たちが恐れなければならないのは、人ではなく神様です。私たちが神様を恐れるなら、どんな人をも恐れません。雀の一羽であっても、神様のお許しがなければ地に落ちることはありません。私たちのいのちと将来は神様の摂理の中にあります。神様は私たちの髪の毛の数も知っているほど、私たちを大切にされます。神様のお許しがなければ、誰も私たちの髪の毛一本も害することができません。私たちがこの神様を信じる時、大胆に福音を宣べ伝えることができるのです。
Ⅱ.人の前でわたしを知らないと言えば(32,33)
 私たちが恐れに打ち勝ち、人の前でイエス様を認めれば、イエス様も神様の前で私たちを認めてくださいます。しかし恐れによって、人の前でイエス様を知らないと言えば、イエス様も神様の前で私たちを知らないと言われます。苦難と患難があっても、イエス様に対する信仰を守ることで、永遠の勝利と祝福にあずかるほうが良いと思いませんか。

祈り:主よ!私が恐れるべき方はただ神様だけです。私がただ主の命令に従って、大胆に福音を証しします。

一言:あなたがたは頭の毛さえ数えられているのです



2009年 04月 01日 (水)

マタイノ福音書10:34-42
剣をもたらすために来られたイエス様

Ⅰ.剣をもたらすために来られたイエス様(34-39)
 イエス様は平和をもたらすためではなく、剣をもらたすために来たと言われます(34)。私たちが福音の真理に従って生き、福音を宣べ伝えようとするなら、私たちが願うわけではないのに、家族と親戚、両親との関係において摩擦と不和が生じます。他人は知りませんが、家族がよく理解し、助けてくれるべきなのに、実は彼らが最も大きな敵になる場合もあるのです(36)。愛する人々との不和は心を痛めます。サタンはこれを利用して、私たちに、イエス様に対する疑いと、福音に対する懐疑を持つようにします。勿論私たちが福音を捨てれば、家族と和解することができます。しかしイエス様はそのような世に向かって平和ではなく、剣をもたらすために来られました。この痛みを担うことができなければ、イエス様にふさわしい者ではありません(37)。また、自分の十字架を負って、イエス様について来ない者も、イエス様にふさわしい者ではありません(38)。イエス様について行くためには、自分の夢と計画を放棄し、いのちさえも失う覚悟をしなければなりません。しかしイエス様のためにいのちを失った者は、それを自分のものにします(39)。なぜならいのちを失わないようにびくびくしながらいのちを浪費せずに、イエス様のために自分のいのちを尊く用いるからです。
Ⅱ.報いに漏れない人々(40-42)
 イエス様のために生きることは漠然としたことではありません。小さい者たちの一人を、イエス様のように尊く思い、水一杯を飲ませることです。そのような人は必ず報いを受けるようになるのです。

祈り:主よ!自分のいのちを主と福音のためにささげることで、貴いいのちを無駄にはせず、用いられることを願います。助けてください。

一言:自分のいのちを失った者はそれを自分のものにする


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