聖書別日ごとの糧   >>   マタイ[2013]

2013年 06月 03日 (月)

マタイ5:1-12
幸いな者

 イエス様は山に登り、どんな人が幸いであるのか、を話してくださいました。
 第一に、心の貧しい者:神様の御前で、自分が罪人であることを悟り、謙遜な心を持っている人です。その人は天の御国を所有するようになります。
 第二に、悲しむ者:自分の罪と隣人の罪によって、悲しむ人です。このような人は、罪が赦され、神様から慰めを受けるようになります。
 第三に、柔和な者:心が広く、柔和な人を指します。それで他人に譲り、ほかの人の言葉に耳を傾ける人です。このような人は、地を相続し、祝福を受けるようになります。
 第四に、義に飢え渇いている者:神様の義を切に慕い求め、これを成し遂げようと努力する人です。彼らが本当の満足と幸福を得て、生きるようになります。
 第五に、憐れみ深い者:ほかの人をかわいそうに思う人です。その人は神様から憐れみを受けるようになります。
 第六に、心のきよい者:心に偽りと偽善がなく、罪の欲を捨てる人です。このような人は神様を見るようになります。
 第七に、平和をつくる者:人々を和解させる人です。このような人は、神の子どもと呼ばれるようになります。
 第八に、義のために迫害されている者:神様の義のために、苦しみを受けている人です。このような人に、天の御国が与えられ、天において受ける報いは大きいものです。

祈り:主よ!今まで、世の虚しい幸福を求めていたことを悔い改めます。これからは、天の祝福を受けるように、祈ります。

一言:幸いな者になろう



2013年 06月 04日 (火)

マタイ5:13-20
あなたがたは、地の塩、世界の光です

1.あなたがたは、地の塩、世界の光です(13-16)
 イエス様の弟子たちは地の塩です。塩は自分をとかして食物の味をつけ、腐敗を防ぎます。イエス様の弟子たちは、イエス様の味を持った人たちであり、世の人々に良い影響を及ぼし、御言葉と祈りによって、世の腐敗を防ぐ人々です。イエス様の弟子たちにもし、はっきりとした福音信仰がなければ、世の腐敗を防ぐことはできません。この世では、イエス様の「塩辛い弟子たち」が必要です。また、イエス様の弟子たちは世界の光です。光はやみを照らし、隠されたものを現わします。イエス様の弟子たちは、世界に福音の真理を宣べ伝え、良い行ないを見せることで、暗い世の中で、どのように生きるのが正しいのか、を悟らせ、世の人々を光の中に歩かせます。光で満たされた「山の上にある町」(a city on a hill)は隠れることができず、この世に現れ、影響を及ぼします(14)。
2.律法を成就させたイエス様(17-20) 
 人々は、イエス様が安息日にも病んだ者をいやし、罪人と共に食事をされるのを見て、イエス様が律法や預言者たちを廃棄するために来られたのだ、と思いました。しかしイエス様は、律法の中の一点一角でも決してすたれることなく、成就すると言われました(18)。イエス様は、律法や預言者たちを廃棄するために来られたのではなく、むしろ成就するために来られました。それで、イエス様の弟子たちは、律法学者やパリサイ人の義よりも、まさっていなければなりません。

祈り:主よ!足りない者を地の塩、世界の光にしてくださり感謝します。私は影響力のある「塩辛い者」になります。

一言:私は地の塩、世界の光です



2013年 06月 05日 (水)

マタイ5:21-26
殺人についての新しい戒め

1.兄弟に向かって腹を立てたり、蔑しんではいけない(21,22)
 殺人は人を殺すことであり、最も大きな罪です。人の命は神様から来たものであり、人は神様のかたちに似て造られた尊い存在だからです。それで、モーセの律法によれば、「人を殺す者はさばきを受けなければならない。」と言われています。しかしイエス様は、「殺人だけではなく、兄弟に向かって腹を立てる者や、兄弟に向かって『能なし』、『ばか者』と言う者も燃えるゲヘナに投げ込まれる」と警告されました。兄弟に向かって腹を立てたり、蔑しむなら、死よりもつらい傷を与え、そのたましいを破壊し、破滅に至らせてしまうからです。イエス様の弟子たちは、兄弟が霊的な死に至らないように、注意しなければなりません。いつも、言葉に気をつけ、感情と血気を克服しなければなりません。全ての人の罪を担うために、十字架で死なれたイエス様の赦しの愛を学び、兄弟を愛し、仕えなければなりません。福音の救いと望みによって、兄弟のたましいを生かさなければなりません。
2.早く仲良くなりなさい(23-26)
 イエス様の弟子たちが、祭壇の上に供え物をささげることよりも、先にすべきことは、自分を恨んでいる兄弟たちのところに行って、仲直りをすることです。神様は、形式的な儀式よりも、心から兄弟を愛することを、願われます。兄弟のもとに行って、先に仲直りをすることは自尊心が傷つくことであり、勇気が必要です。しかし裁判官によって牢に入れられたり、神様からさばかれるよりは、ましです。

祈り:主よ!私が傲慢と自尊心のために、軽々しく人に接していたことを悔い改めます。これからは、人を大切に思います。

一言:蔑しむことも殺人



2013年 06月 06日 (木)

マタイ5:27-37
姦淫についての新しい戒め

1.情欲をいだいてはならない(27-32)
 十戒の中の七番目の戒めは、「姦淫してはならない」です。それで、申命記22:22節では、「姦淫した男女を石で打ち殺しなさい」と戒めています。姦淫は、神様の霊が臨む聖なる宮である自分のからだを汚す行為であり、神様の御心に背く行為だからです。ところがイエス様は、姦淫という行ないだけではなく、「情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのだ」と言われました。イエス様は、私たちをつまずかせるなら、目をえぐり出し、手を切って捨ててでも、ゲヘナに落ちて行かないようにしなさい、と言われました。イエス様はまた、不貞以外の理由で妻と離別することも、姦淫を犯したと言われました。それでイエス様の弟子たちは、姦淫の行ないよりも、その心に情欲を抱かないように、注意しなければなりません。御言葉と祈りによって、自分の心を治めるなら、イエス様の本当の弟子です。
2.決して誓ってはいけません(33-37)
 律法には、「偽りの誓いを立ててはならない。あなたの誓ったことを主に果たせ」とあります。ところが、イエス様は、「決して誓ってはいけません」と言われました。天をさして誓っても、地にさして誓ってもならず、「はい」は「はい」、「いいえ」は「いいえ」とだけ言わなければなりません。人が誓いを立てるのは、それだけその言葉が真実ではない、という証拠です。誓いを立てることより、「はい」「いいえ」をはっきりし、その言葉に責任を持つことが、成熟した姿勢です。

祈り:主よ!私は、いつも心に情欲を抱いて姦淫を犯す罪人です。キリストの血によって、私をきよめてください。

一言:情欲をいだいてはならない



2013年 06月 07日 (金)

マタイ5:38-48
自分の敵を愛しなさい

1.悪い者に手向かってはいけません(38-42)
 律法には、「目には目で、歯には歯で。」とあります。しかしイエス様は、「悪い者に手向かってはならない」と言われました。右の頬を打つような者には、左の頬も向け、下着を取ろうとする者には、上着も与え、強いて一ミリオン歩かせる者には、一緒にミリオン行くように、命じられました。求める者には与え、借りようとする者は断らないようにしなければなりません。イエス様の弟子たちは、敵と戦うのではなく、積極的に善を行なうことで、悪に打ち勝たなければなりません。
2.自分の敵を愛しなさい(43-48)
 律法には、「自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め」とあります。しかしイエス様は、「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」と言われます。神様は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださいます。私たちがイエス様の御心を受け、敵までも愛するなら、天におられる神様の子どもになることができます。弟子たちが目指す目標は、48節に記されています。「だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。」弟子たちは、自分を愛する者だけを愛する取税人とは違わなければならず、自分の兄弟にだけあいさつをする異邦人とは違わなければなりません。神様が完全なように、完全な愛を持たなければなりません。

祈り:主よ!愛がない律法的な罪人を赦してください。これからは、敵さえも愛する愛の使徒になります。

一言:敵さえも愛しなさい


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