聖書別日ごとの糧   >>   マタイ[2013]

2013年 06月 13日 (木)

マタイ8:1-13
このような信仰

1.ツァラアトに冒された者の信仰(1-4)
 ツァラアトに冒された一人がイエス様のみもとに来て、きよめてくださるように、お願いしました。当時、ツァラアトは不治の病であり、律法によれば、汚れた病気でした。それで、この人は肉体的な苦痛だけではなく、罪意識と羞恥心に苦しめながら、生きなければなりませんでした。ところが彼は、イエス様の力と愛を信じて、イエス様のみもとに出て行きました。イエス様は彼の醜く異臭を放つ体に手をおいて、言われました。「わたしの心だ。きよくなれ。」(3)。すると驚いたことに、彼のツァラアトはきよめられました。イエス様は、どんなにひどい病を患っている人であっても、癒す力ある主であり、どんなに醜い人であっても、手を差し伸べてくださる愛の主です。信仰によって出て行くなら、イエス様はどんな人であっても、完全で、役に立つ人に変えてくださいます。
2.百人隊長の信仰(5-13)
 ある百人隊長がイエス様に、「中風で病んでいるしもべを直してください。」と懇願しました。当時、百人隊長は社会的な地位や権力がある人であり、しもべは物のように扱われていました。それでも、百人隊長はしもべを生かすために、体面を捨て、イエス様のみもとに来ました。何よりも、彼の信仰は大したものです。「ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは直りますから。」(8b)。イエス様は、「イスラエルのうちのだれにも、このような信仰を見たことがない。」と言われ、彼の信仰に驚かれ、御言葉で、すぐに、しもべを直してくださいました。イエス様は、御言葉の力を信じることを喜ばれ、祝福してくださいます。

祈り:主よ!罪によって汚れたものをきよめてくださり、私が百人隊長のように、御言葉に基づいた信仰を持つように、助けてください。

一言:御言葉を信じる信仰



2013年 06月 14日 (金)

マタイ8:14-22
イエス様の弟子が担うべき痛み

1.私たちのわずらいを身に引き受けてくださったイエス様(14-18)
 イエス様は、熱病で苦しむペテロのしゅうとめを、直してくださいました。それで、人々は悪霊につかれた者を大ぜい、イエス様のみもとに連れて来ました。イエス様はこのような人々をみな受け入れ、御言葉によって悪霊を追い出し、病気の人々を直してくださいました。これは、預言者イザヤを通して言われた言葉が成就するためでした。「彼が私たちのわずらいを身に引き受け、私たちの病を背負った。」(17)。イエス様は、私たちの弱さを担うために、十字架で死なれましたが、三日目によみがえられました。この世では、弱い者はのけ者にされ、深い傷を受けます。しかしイエス様は、私たちのわずらいを身に引き受けてくださり、病んだ者を直してくださいます。この世を恨むことより、イエス様の所に出て行きさえすれば、良いのです。
2.イエス様の弟子になるためには(19-22)
 ある律法学者がイエス様のみもとに来て、「あなたのおいでになる所なら、どこにでもついてまいります。」と言いました。しかしイエス様は、弟子になるためには、「枕する所もないほど、貧しい生活も覚悟しなければならない」と言われました。また、弟子の中の一人が、「まず行って、私の父を葬ることを許してください。」と言いました。しかし、イエス様は彼に言われました。
「わたしについて来なさい。死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。」イエス様の弟子になるためには、人情を捨てる痛みを担わなければなりません。そしてイエス様の御業を最優先に考えなければなりません。何の痛みもなしに、イエス様の弟子になることはできません。

祈り:主よ!私の全ての弱さと病を直してくださり、感謝します。今から、イエス様について行く弟子になります。

一言:イエス様の弟子になるには



2013年 06月 15日 (土)

マタイ8:23-34
権威者イエス様

1.風や湖を治められたイエス様(23-27)
 イエス様と弟子たちが舟に乗って行かれると、大暴風が起きてしまいました。舟は大波をかぶり、転覆する危険にさらされました。弟子たちは死ぬほどの恐れに捕らわれていました。ところが、イエス様は眠ってばかりおられました。弟子たちはイエス様を起こして、助けを求めました。しかしイエス様は、むしろ弟子たちを咎めました。「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」そして風と湖をしかりつけると、大なぎになりました。私たちは、人生の航海で、多くの嵐に遭遇します。しかしイエス様が船長なので、私たちは少しも恐れる必要がありません。イエス様の中に、本当の平和があります。
2.霊的な権威者イエス様(28-34)
 イエス様がガダラ人の地に行かれた時、悪霊につかれた人が二人墓から出て来て、イエス様に出会いました。彼らはひどく狂暴で、だれもその道を通ることができませんでした。イエス様を見ると、彼らは声を上げて、苦しみました。彼らのたましいはイエス様の救いを求めていましたが、悪霊たちは彼らを捕らえて放そうとはせず、ひどく反発しました。しかしイエス様は彼らを放棄されませんでした。悪霊たちと戦い、数多くの豚を犠牲にして、彼らを生かしました。このイエス様は、悪霊を取り除かれる霊的な権威者です。一人のいのちを救うためには、多くの犠牲が求められます。イエス様は病んだたましいを救おうとされ、多くの犠牲を払い、ついには十字架で、一つしかないいのちさえも、惜しまずに、差し出されました。

祈り:主よ!恐れと悪霊の支配から私を救ってください。

一言:なぜこわがるのか


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