聖書別日ごとの糧   >>   マタイ[2013]

2013年 06月 21日 (金)

マタイ10:1-15
十二使徒を遣わされたイエス様

1.天の御国が近づいた(1-8)
 イエス様は十二弟子を呼び寄せて、汚れた悪霊どもを制する権威をお授けになり、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直す力をくださいました(1)。そして彼らを遣わされましたが、異邦人の道やサマリヤ人の町ではなく、「イスラエルの家の滅びた羊のところに行きなさい。」と命じられました(5,6)。神様は、イスラエルを、祭司の王国として立て、彼らを通して、全世界を救おうとされました。しかし彼らはこの使命を失ってしまいました。今、イエス様は弟子たちを遣わされ、彼らに福音を宣べ伝えさせることによって、神様の救いの計画を再び成し遂げようとされました。イエス様は彼らに、「『天の御国が近づいた。』と宣べ伝えなさい。」と言われました。イスラエルには、多くの現実の問題がありました。しかし彼らに天の御国の福音を宣べ伝えようとされたのは、その心に天の御国がなくては、いくら良い現実であっても、人間らしく生きることができず、幸福ではないからです。イエス様はまた弟子たちに、病人を直し、死人を生き返らせ、ツァラアトをきよめ、悪霊を追い出しなさいと命じられました。弟子たちは、羊たちを霊的に助けるだけではなく、実質的にも助けなければなりません。
2.金貨や銀貨や銅貨を入れてはいけません(9-15)
 イエス様は、弟子たちが伝道旅行に行く時、お金や二枚目の下着や、くつや杖を持って行ってはならないと言われました。イエス様の弟子たちは、物に頼ることより、神様にだけ頼らなければなりません。すると、純粋で、大胆に、福音を宣べ伝えることができます。

祈り:主よ!私が、サタンの統治の下で苦しむ世に出て行き、天の御国の福音を宣べ伝え、彼らを主に導きます。

一言:天の御国の福音を宣べ伝えよ



2013年 06月 22日 (土)

マタイ10:16-23
蛇のようにさとく、鳩のようにすなおに

1.蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい(16)
 福音を宣べ伝えるために、弟子たちを世に遣わしながら、イエス様の心情はまるで、「狼の中に羊を送り出す」思いでした。それでも、イエス様が弟子たちを遣わせるのは、弟子たちを懐の中で育てることより、強い者として育てるためであり、また弱い弟子たちであっても、遣わさなくてはならないほど、福音を宣べ伝えることが、緊急を要するからでした。イエス様は、世に出て行く弟子たちに、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい、と言われました。この世は、悪く、悪賢いサタンの支配の下にあります。このような世の中で、福音を宣べ伝え、救いの御業を成し遂げるためには、蛇のようにさとくなければなりません。しかし、さとくなければならない、と言って、不義を行なってはいけません。福音の働き人は、鳩のようにすなおでなければなりません。すると御霊が共におられ、サタンの働きに打ち勝つことができる力と知恵が与えられます。
2.最後まで耐え忍びなさい(17-23)
 イエス様は、弟子たちが福音を宣べ伝える時、世の権力者たちの前に連れて行かれ、迫害を受けるだろうと言われました。その時、弟子たちは、それがむしろ福音を伝える機会だと考え、積極的に福音を宣べ伝えなければなりません。何を話そうかと心配する必要はありません。御霊が話すことを教えてくださいます。弟子たちはまた、愛する家族に捨てられ、全ての人々から憎まれるようになります。しかし妥協してはならず、耐え忍ばなければなりません。すると、主が救ってくださいます(23)。

祈り:主よ!私でも遣わして、福音を宣べ伝えようとされる主の御心を受け入れます。この使命を担えるように、信仰と忍耐をください。

一言:最後まで、耐え忍ぶ者



2013年 06月 23日 (日)

マタイ10:24-33
恐れることはありません

1.恐れることはありません(24-31)
 宗教指導者たちは、イエス様をベルゼベルと言いながら、迫害しました。師であるイエス様がこのように誤解され、迫害されるので、弟子たちが迫害を受けるのは当然のことです。しかしイエス様は、「彼らを恐れることはない。」と言われました(26)。彼らが私たちを殺すことはできても、私たちのたましいを殺すことはできないからです。私たちのからだもたましいも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方は神様だけです。それで私たちが恐れるものは、人ではなく、神様です。私たちが神様を恐れるなら、どんな人も恐れません。一羽の雀も神様のお許しなしには、地に落ちることはありません。私たちの命と将来は神様の摂理の中にあります。神様は私たちの髪の毛の数も知っているほど、私たちを惜しまれます。神様がお許しにならなければ、誰でも、私たちの髪の毛一本でさえ、害することはできません。私たちがこの神様を信じる時、大胆に福音を宣べ伝えることができます。
2.人の前でわたしを知らないと言うような者なら(32,33)
 私たちが恐れに打ち勝ち、人々の前でイエス様を認めるなら、イエス様も神様の前で私たちを認めてくださいます。しかし恐れから、人の前でイエス様を知らないと言うなら、イエス様も神様の前で私たちを知らないと言われます。苦難と患難があっても、イエス様に対する信仰を守ることで、永遠の勝利と祝福に預かるべきでしょう。

祈り:主よ!私が恐れるべき方は神様だけです。私が主の命令に従って、大胆に福音を宣べ伝えます。

一言:あなたは髪の毛の数さえも数えられている



2013年 06月 24日 (月)

マタイ10:34-42
剣をもたらすために来られたイエス様

1.剣をもたらすために来られたイエス様(34-39)
 イエス様は平和をもたらすためではなく、剣をもたらすために来た、と言われました(34)。私たちが、福音の真理に従って生き、福音を宣べ伝えようとするなら、私たちが願っているわけではありませんが、家族と親せき、両親との摩擦、不和が生じます。他の人は知りませんが、家の中の家族が一番理解し、助けるように思いますが、実際は彼らが最も大きな敵になります(36)。愛する人々との不和は心を痛めます。サタンは、これを通して、私たちに、イエス様に対する疑いと、福音に対する疑いを抱かせます。もちろん、私たちが福音を捨てれば、家族と和解することができます。しかしイエス様は、平和ではなく、剣をもたらすために来られました。この痛みを担えない人は、イエス様にふさわしくありません(37)。また、自分の十字架を負って、イエス様について行かない人も、イエス様にふさわしくありません(38)。イエス様に従うためには、自分の夢と計画を放棄し、いのちさえも失う覚悟をしなければなりません。しかしイエス様のために、いのちを失うなら、むしろいのちを得るようになります(39)。いのちを失わないように、闘争しているうちに、いのちを浪費せずに、イエス様のために尊く用いられるからです。
2.報いに漏れない人々(40-42)
 イエス様のために生きることは、漠然としたことではありません。小さな者を、イエス様のように考え、一杯の水を飲ませることです。そのような人は、必ず報いを受けます。

祈り:主よ!私のいのちを主と福音のためにささげることで、尊い命を浪費せずに用いられるように、助けてください。

一言:自分のいのちを失う者は得る


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