聖書別日ごとの糧   >>   マタイ[2013]

2013年 08月 09日 (金)

マタイ20:1-16
ぶどう園で働く労務者のたとえ

1.あなたがたも、ぶどう園に行きなさい(1-7)
 ぶどう園の主人は、ぶどう園で働く労務者を雇いました。主人は、朝早くに市場にでかけ、「一日一デナリ」の約束をして、労務者たちをぶどう園にやりました。主人は、午前九時、正午、午後三時ごろに出かけて行き、何もしないで過ごしている人がいれば、彼らをぶどう園に行かせました。ところが、午後五時ごろ、すなわち仕事が終わりに近づいた時にも、主人は市場に出かけ、一日中仕事をしないでいる彼らを、労務者として雇いました。することがなく、一日中市場に立っていると、自分がみじめになり、敗北感と劣等感に陥るようになります。人生が無意味なものになってしまいます。虚脱感と疲労感から罪を犯すようになります。神様がお与えになった使命を知らなければ、人は市場に立っている人のようなものです。熱心に働き、忙しく過ごしていても、神様の使命がなければ、その心は、市場に立っている人と同じように、無意味であり、疲れます。人は、神様の召されと使命がなければならない、存在です。神様が私たちを召され、使命を任されたことは、本当に尊い祝福です。
2.自分のものを自分の思うように(8-16)
 夕方になり、ぶどう園の主人は労務者を呼び、一番最後に来た人から順番に、一番最初に来た人まで、みな一デナリずつ与えました。何と、一時間しか働かなかった人にも、一デナリずつ与えたのです。後から来た者も、最初に来た者も、同じ恵みを施されるのが、神様の恵みです。

祈り:主よ!とがの多い私を召してくださり、神様のぶどう園で働かせてくださり、感謝します。生涯、この恵みに感謝するように、助けてください。

一言:天の御国のぶどう園で働くようになった恵み



2013年 08月 10日 (土)

マタイ20:17-34
本当に偉大な者

1.主の両側にすわるようにしてください(17-28)
 イエス様はエルサレムに上って行く途中で、もう一度十字架の苦難と復活について、話されました。ところが、ヨハネとヤコブの母親がイエス様のみもとに来て、ひれ伏し、願い求めました。「私のこのふたりの息子が、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるようにおことばを下さい。」
(21)。彼らは、主の両側に座るためには、まず苦難と死の杯を飲まなければならないということを、知りませんでした。彼らは偉大になり、栄光を受けることだけを願いましたが、そこに伴う十字架は考えませんでした。イエス様は、このような彼らに、本当に偉大な人はどういう者かについて、教えてくださいました。神様がご覧になる時、本当に偉大な人は、ほかの人に仕える人です。本当に偉大な人になることを願うなら、仕えるしもべにならなければなりません。イエス様は、神様の御子として、仕えられるのにふさわしい方です。しかしイエス様は、むしろ罪人たちに仕え、多くの人のための、贖いの代価として、ご自分のいのちをお与えになりました(28)。イエス様の仕えによって、全人類が救いを得るようになりました。人の偉大さは、地位や能力にあるのではなく、どれだけ多くの人に仕えるのかに、あります。
2.私たちをあわれんでください(29-34)
 エリコの二人の盲人は、イエス様に叫んで、救いを求めました。人々は彼らを黙らせようとして、たしなめましたが、それでも叫びました。イエス様は彼らの信仰をご覧になり、彼らの目を開いてくださいました。イエス様は十字架を目前にして、辛い時でしたが、彼らに仕え、助けてくださいました。

祈り:主よ!生涯、私が主の仕える生活を学べるように助けてください。

一言:仕えるために来られたイエス様


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