聖書別日ごとの糧   >>   マタイ[2013]

2013年 08月 13日 (火)

マタイ22:1-22
王子のための結婚の披露宴

1.天の御国の披露宴にふさわしい者(1-14)
 天の御国は、王子のために結婚の披露宴を設けた王にたとえることができます(2)。王は、何もかも整えた後に、招待しておいたお客を呼びに、しもべたちを遣わして、披露宴の時間が迫っていることを知らせました。ところが、招かれた人々は、それぞれ用事のために行ったり、しもべたちをつかまえて恥をかかせ、殺しました。それで、王は兵隊を出して、彼らを滅ぼしました。そしてしもべたちを大通りに行かせ、出会った者をみな宴会に招くように、言いました。彼らは招かれていませんでしたが、王子の結婚に披露宴に参加する祝福を受けるようになりました。しかし、その中で、礼服を着ないで入って来た者たちは、外の暗やみに放り出されました(13)。このたとえで、王は神様を、王子はイエス様を、招かれた人々はユダヤ人たちを、広い意味では私たちを指しています。神様は、罪の赦しと永遠のいのちなど、全てのものを整えて、私たちを天の御国に招いてくださいました。この神様の招きを尊く思い、応じる者、イエス様を信じる信仰によって義の着物(ガラ2:16,ロマ13:14)を着た者は、天の御国の宴会に参加することができます。
2.カイザルのもの、神様のもの(15-22)
 イエス様は、税金の問題で試みるパリサイ人たちに、「カイザルのものはカイザルに、神様のものは神様に返しなさい。」と言われました。イエス様は、彼らが国家や社会の義務を果たし、神様の対する義務を果たすように、助けられました。

祈り:主よ!資格のない罪人を天の御国の宴会に招いてくださり、感謝します。私がイエス様を受け入れることで、天の御国の宴会に出るように助けてください。

一言:イエス・キリストの着物を着よう



2013年 08月 14日 (水)

マタイ22:23-46
生きている者の神様

1.生きている者の神様(23-33)
 復活を信じていなサドカイ人たちが、イエス様のところに来て、「兄が死ねば、弟が愛の妻から跡継ぎを与える」当時の法律を上げて、復活の不当性を主張しました(24-28)。彼らは復活を信じないようにと、おかしな例を作り出しました。イエス様は、このような彼らが、聖書も神様の能力も知らずに誤解していると言われ、復活の時には、めとることも、とつぐこともなく、天の御使いたちのようになる、事実を悟らせました。また、神様がモーセに、「わたしは、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」と言われた御言葉(出3:16)を上げ、信仰の先祖はみな生きていることを、話されました。一言で、神様は死んだ者の神様ではなく、生きている者の神様であることを、話されました(32)。神様は、復活の生ける望みを持った人々の神様です。復活を信じていない者たちには、神様は何の意味もありません。
2.たいせつな戒め(34-46)
 ある律法学者がイエス様に、「律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」と質問しました。イエス様は、「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これが大切な第一の戒めです。」と教えてくださいました(37)。「第二の戒めは、『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』である。」と言われました。あらゆることを尽くして、神様を愛することが大切な第一の戒めであり、いのちと幸福の道です。

祈り:主よ!私が復活の望みの中で、この世のものに執着せずに、神様の栄光のために生き、心と思いと知力を尽くして、神様を愛する生活をするように、助けてください。

一言:生きている者の神様


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