聖書別日ごとの糧   >>   マタイ[2013]

2013年 08月 18日 (日)

マタイ25:1-30
天の御国のたとえ

1.十人の娘のたとえ(1-13)
 天の御国は、たとえて言えば、それぞれがともしびを持って、花婿を出迎える十人の娘のようです。ともしびと油を用意した賢い五人の娘たちは、花婿が夜遅く到着した時、花婿を出迎えて、婚礼の祝宴に出ることができました。しかし、ともしびだけを準備して、油を用意しなかった娘たちは、油がなくなって、花婿を迎えることができず、婚礼の祝宴にも出ることができませんでした。主は、いつ来られるか、分かりません。それで、私たちは賢い娘のように、いつでも主をお迎えすることができるように、御霊の油を備えて置かなければなりません。続けて、霊的な生活をしなければなりません。
2.タラントのたとえ(14-30)
 主人が旅に出て行く時、しもべたちを呼んで、おのおのその能力に応じて、五タラント、二タラント、一タラントのお金を分けました。五タラントと二タラントを預かったしもべは、それで商売をし、それぞれ100%の利益を残しました。しかし、一タラントを預かったしもべは、そのタラントを土に埋めておきました。時になり、主人が帰って来て、清算をした時、商売して利益を残したしもべたちには、「よくやった。良い忠実なしもべだ。」と称賛され、主人の喜びに参加することができました(23)。しかし、商売せずに利益を残さなかったしもべは、「悪いなまけ者のしもべだ」と言われ、持っていた物までも奪われてしまいました(25-28)。私たちは、主から命、健康、才能、能力、福音などのタラントを受けました。これを積極的に活用して、主に利益をささげるなら、主の再臨の時、祝福された者になることができます。

祈り:主よ!私が、主から預かったタラントを隠さずに、主のために、積極的に使って、利益を残せるように、助けてください。

一言:忠実な良いしもべ



2013年 08月 19日 (月)

マタイ25:31-46
最後のさばき

 イエス様が最初に来られた時には、仕えるしもべとして来られました。しかし、再び来られる時には、天の御使いと共に来られ、ご自分の栄光の位に着かれます。そして、すべての国々の民を、その御前に集め、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、人々を二つに分類して、その左右に置かれます。
 イエス様は、その右にいる者たちには、「世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。」と言われます(34)。この国は、罪も、涙も、苦しみも、死もなく、愛と、平安と、恵みと、永遠のいのちが満ち溢れる完全な楽園です。彼らが、このような祝福を受けるようになった理由は、何でしょうか。主が空腹で、渇いた時、旅人であった時、裸であった時、牢にいた時、顧みたからです。
 それに対して、正しい人たちは、「主に、そのようにしたことがない。」と答えました。しかし、主は、「最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。」と言われました(40)。最も小さい者たちは、実際の助けが必要であり、愛が必要です。イエス様は、最も小さい者の御姿で、私たちに現れます。私たちが最も小さい者に仕えることが、私たちの主に仕えることであり、主はそのような人々に、用意された天の御国をくださいます。
 一方、主は左にいる者たちに、「呪われた者ども。」と言われ、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ、と命じられます。彼らは、「イエス様をよく信じている」と言いながら、実際の生活では、最も小さい者を無視し、顧みなかったからです。

祈り:主よ!私が最も小さな者たちの一人を無視していたことを悔い改めます。今彼らに、主に仕えるように仕え、愛を施します。

一言:正しい人は永遠のいのちに、悪者は永遠の刑罰に


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