聖書別日ごとの糧   >>   マタイ[2015]

2015年 05月 11日 (月)

マタイ8:1-4
ツァラアトに冒された者の信仰

 イエス様が山から降りて来られると、多くの群衆がイエス様に従いました。すると、ひとりのツァラアトに冒された人がみもとに来て、ひれ伏して言いました。「主よ。お心一つで、私をきよめることがおできになります。」
 当時、ツァラアトは不治の病であり、律法によれば、汚れた病でした。ツァラアトに冒されると、社会から疎外され、愛する家族とも離れて過ごさなければなりませんでした。また、ツァラアトが群衆の前に出て行く時は、自分が汚れていることを知らせ、人々が近づいて来ないようにしました。人々は、彼に石を投げ、追い払っていました。本文に出て来るツァラアトに冒された人の気持ちはどうだったのでしょうか。病にかかってから、恐れ、悲しみ、絶望、孤独を味わったに違いありません。また、自分がツァラアトに冒されたことに対する運命も受けたことでしょう。そのような彼が、イエス様の御前に出て行くことは容易なことではありませんでした。群衆から石を投げつけられる恐怖がありました。それでも彼は純粋にイエス様の憐れみを求めました。また、イエス様なら自分の病をいやしてくださる、という信仰もありました。彼はイエス様にすがりつきました。その時、イエス様は手を伸ばして、彼にさわってくださいました。肉が腐敗し、異臭を放つ彼のからだにさわってくださいました。病気によって、もはや人の姿を失ってしまった彼のからだにさわってくださいました。そして言われました。「わたしの心だ。きよくなれ。」すると、すぐに彼の病はきよめられました(3)。罪はツァラアトに似ています。罪によって、神様の姿を失い、腐敗して臭いを放ち、人間関係をも、破壊されます。しかし、愛と恵みが豊かなイエス様は、私たちの罪の問題を解決してくださいます。「わたしの心だ。きよくなれ。」

祈り:愛と恵みが豊かな主よ!罪によって汚れた私のからだにふれてくださり、私の罪の問題を解決してくださり、感謝します。

一言:わたしの心だ。きよくなれ



2015年 05月 12日 (火)

マタイ8:5-17
私たちの病をいやされたイエス様

Ⅰ.百人隊長の信仰(5-13)
 ひとりの百人隊長がイエス様に懇願しました。「主よ。私のしもべが中風やみで、家に寝ていて、ひどく苦しんでおります。」当時、百人隊長は社会的な地位が高く、権威がある人であり、しもべは物のように扱われた人でした。それでも、百人隊長は、しもべを助けるために、体面を捨てて、イエス様のみもとに出て行きました。何よりも、彼の信仰は大胆なものでした。「ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは直りますから。」(8b)。イエス様は、「わたしはイスラエルのうちのだれにも、このような信仰は見たことがありません。」と言われ、彼の信仰に感嘆し、御言葉によって、すぐにしもべを直してくださいました。イエス様は、御言葉の力を信じる信仰を喜ばれ、祝福してくださいました。
Ⅱ.私たちの病を背負われたイエス様(14-18)
 イエス様は、熱病で床に着いているペテロのしゅうとめを、癒してくださいました。それで、人々は悪霊につかれた者を大ぜい、イエス様のみもとに連れて来ました。イエス様は、このような人々をみな受け入れ、御言葉をもって霊どもを追い出し、また、病気の人々をみなお直しになりました。これは、預言者イザヤを通して言われた事が成就するためでした。「彼が私たちのわずらいを身に引き受け、私たちの病を背負った。」(17)。イエス様は私たちの弱さを担うために、十字架の上で死なれましたが、三日目によみがえられました。世の中では、弱く病んだ人々は疎外され、悲しみを受けます。しかし、イエス様は私たちの弱さを担ってくださり、病んだ者を直してくださいます。世を恨むより、イエス様のみもとに出て行けば、良いのです。

祈り:主よ!私の全ての弱さと病を直してくださり、感謝します。このイエス様を信じて、出て行きます。

一言:私の病を背負われたイエス様



2015年 05月 13日 (水)

マタイ8:18-22
イエス様の弟子になるためには

 ひとりの律法学者がイエス様のところに来てこう言いました。「先生。私はあなたのおいでになる所なら、どこにでもついてまいります。」(19)。すると、イエス様は彼に答えて言われました。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。」(20)。イエス様の行く所に群衆が集まって来るため、一見華やかなように見えます。ところが、群衆はどんな時もイエス様の所に集まって来るため、イエス様の弟子はなかなか自分の時間を持つことができません。また、イエス様は福音を伝えるために、町や村を行き巡られました。使命を担うために、一つの場所に安住することができません。イエス様の弟子になるためには、いのちの御言葉を宣べ伝えるために、旅人の人生を生きる覚悟が求められます。
 別のひとりの弟子はイエス様について行こうとしました。それでイエス様に言いました。「主よ。まず行って、私の父を葬ることを許してください。」(21)。彼には、家族を養う責任がありました。また、両親を養う責任がありました。ところが、イエス様は彼に言いました。「わたしについて来なさい。死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。」(22)。イエス様の弟子になるためには、人情を断ち切る痛みを担わなければなりません。そしてイエス様の事を最優先に考えなければなりません。痛みが伴わなければ、イエス様の弟子になることができません。

祈り:主よ!私が、どんなことよりも、イエス様のことを最優先に考え、ついて行く生活ができるように、助けてください。

一言:イエス様の弟子になるためには



2015年 05月 14日 (木)

マタイ8:23-34
権威者イエス様

Ⅰ.大暴風を鎮められたイエス様(23-27)
 イエス様と弟子たちが舟に乗って行った時、大暴風に遭遇しました。波は舟をおおい、舟は破船の危機に処せられました。弟子たちは、弟子たちは死ぬかもしれない、という恐れに捕らわれました。ところが、イエス様は眠っておられました。弟子たちはイエス様を起こして、助けを求めました。しかしイエス様は、かえって弟子たちを叱りました。「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」それから、風と波をしかりつけられると、大なぎになりました。私たちは、人生の航海で多くの大暴風に出会います。しかし、イエス様が船長なので、私たちは恐れる必要はありません。イエス様の中に、本当の平和があります。
Ⅱ.霊的な権威者イエス様(28-34)
 イエス様がガダラの地に行かれた時、悪霊につかれた人が二人墓から出て来て、イエス様に出会いました。彼らはひどく狂暴で、だれもその道を通れませんでした。イエス様を見ると、彼らはわめいて、苦しみました。彼らのたましいは、イエス様からの救いを慕い求めていましたが、悪霊は彼らをつかんで離さないように、ひどく反発しました。しかし、イエス様は彼らをあきらめませんでした。悪霊たちと争い、数多くの豚の群れを犠牲にして、彼らを助けました。このイエス様は、悪霊を追い出す霊的な権威を持っておられる方です。一人のいのちを救うのに、多くの犠牲が要求されます。イエス様は、病んだ一人のたましいを救うために、多くの犠牲を払い、ついには、十字架の上で、一つしかないいのちまでも惜しまずに差し出されました。

祈り:主よ!恐れと悪霊の権威から私を救ってください。

一言:なぜこわがるのか


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