聖書別日ごとの糧   >>   マタイ[2015]

2015年 05月 23日 (土)

マタイ11:1-19
おいでになるはずの方は、あなたですか

 バプテスマのヨハネは、獄中でキリストの御業について聞き、その弟子たちを通して、イエス様に尋ねました。「おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも、私たちは別の方を待つべきでしょうか。」(3)。ヨハネは、イエス様を「神の子羊」として証ししましたが、今の自分の現状を見ると、少し疑いが生じたようです。
 すると、イエス様は彼らに答えて言われました。「あなたがたは行って、自分たちの聞いたり見たりしていることをヨハネに報告しなさい。」(4)。見えない者が見えるようになり、歩けない人が歩き、ツァラアトに冒された者がきよめられ、聞こえない者の耳が開け、死人が生き返り、貧しい者に福音を宣べ伝えられています(5)。これは、預言者イザヤの預言通りに起こっていることを証明しています。それで、イエス様は言われました。「だれでも、わたしにつまずかない者は幸いです。」(6)。
 イエス様はバプテスマのヨハネが疑いを抱いたからと言って、彼を無視したり、非難したりしませんでした。むしろ「女から生まれた者の中で、最もすぐれた者」と言われました(11)。それは、どんな時も、ヨハネが自分の使命を全うしたからです。
 ところが、当時の人々はどうだったのでしょうか。食べも飲みもしないヨハネを見て、「あれは悪霊につかれているのだ。」と言いました。また、イエス様が来て食べたり飲んだりしていると、「あれ見よ。食いしんぼうの大酒飲み、取税人や罪人の仲間だ。」と言いました。今日でも、自分の欲に目がくらみ、イエス様を受け入れられない人がいます。

祈り:主よ!私が聖書に基づいたメシヤ観を持つように助けてください。バプテスマのヨハネのような使命人になるように、助けてください。

一言:正しいメシヤ観



2015年 05月 24日 (日)

マタイ11:20-30
わたしがあなたがたを休ませてあげます

Ⅰ.悔い改めない町
 イエス様が、数々の力あるわざを行なわれた町でさえ、悔い改めないのを見て、心を痛められました。イエス様はこれらの町々に言われました。「ああコラジン。ああベツサイダ・・・ソドムの地のほうが、おもえたちに言うが、さばきの日には、まだおまえよりは罰が軽いのだ。」イエス様の力あるわざを見ても、悔い改めない人々は、もっと恐ろしい刑罰を受けるようになります。その一方で、イエス様は神様の御心を知り、感謝されました。「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現わしてくださいました。そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。」(25,26)。傲慢な者はさばきを受け、謙遜な人が福音の秘密を悟り、救いを得るのが神様の御心です。
Ⅱ.わたしのくびきを負って(28-30)
 イエス様は、自ら「知恵がある」と言って、福音を受け入れないことで、たましいに安らぎがない人々を憐れんで、招いてくださいました。「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(28)。人はだれでも、重荷を負っています。本当の安らぎはイエス様のところに来て、得ることができます。イエス様は言われました。「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」イエス様のくびきは、イエス様の御言葉に聞き従うくびき、イエス様がくださる使命のくびきです。このくびきは、私たちを疲れさせるもののようにも見えます。しかし、このくびきを負う時、イエス様を学ぶことができ、心に安らぎを得ることができます。

祈り:主よ!私は傲慢で、心に安らぎがありません。今、主のくびきを負って、主を学びます。私に本当の安らぎをください。

一言:イエス様のくびきは負いやすい


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