聖書別日ごとの糧   >>   マタイ[2015]

2015年 11月 13日 (金)

マタイ22:1-14
結婚の披露宴を設けた王のたとえ

 王は、王子のために結婚の披露宴を設けました。用意ができたので、招待客を迎えに、しもべたちを遣わしましたが、彼らは来ようとはしませんでした。気を取り直して、王は別のしもべたちを迎えに行かせました。「さあ、食事の用意ができました。雄牛も太った家畜もほふって、何もかも整いました。どうぞ、宴会にお出かけください。」ところが、彼らは気にもかけずに、ある者は畑に、別の者は商売に出て行き、そのほかの者たちは、王のしもべたちをつかまえて恥をかかせ、殺してしまいました。王は怒って、兵隊を出して、その人殺したちを滅ぼし、彼らの町を焼き払いました。
 その時、王はしもべたちに言いました。「宴会の用意はできているが、招待しておいた人たちは、それにふさわしくなかった。だから、大通りに行って、出会った者をみな宴会に招きなさい。」
それで、しもべたちは、通りに出て行って、良い人でも悪い人でも出会った者をみな集めたので、宴会場は客でいっぱいになりました。
 ところが、王が客を見ようとはいって来ると、そこに婚礼の礼服を着ていない者がひとりいました。王は言いました。「あなたは、どうして例服を着ないで、ここに入って来たのですか。」そういうと、その人を追い出してしまいました。たとえで、救いの戸は誰にでも開かれましたが、そのためには、例服であるイエス様を着る必要があります。イエス様なしには、天の御国には入れません。

祈り:主よ!私のような者を、救いに招いてくださり、感謝します。受け入れてください。

一言:イエス様を身につけて



2015年 11月 14日 (土)

マタイ22:15-22
カイザルのものはカイザルに

 パリサイ人たちは、ヘロデ党員のものと手を結んで、イエス様をことばのわなにかけようとしました。そこで、イエス様のもとにやって、こう言わせました。「先生。私たちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方だと存じています。あなたは、人の顔色を見られないからです。」まず、彼らはイエス様が質問から逃げないように、慇懃な言葉でイエス様を持ちあげました。そして核心をついた質問をしました。「それで、どう思われるのか言ってください。税金をカイザルに納めるのは、律法にかなっていることでしょうか。かなっていないことでしょうか。」ヘロデ党員の前で、「税金は払わなくても良い」とお答えになると、イエス様は政治犯として捕らえられてしまいます。「払うべきだ」とお答えになると、群衆の人気はガタ落ちになります。どう答えても、イエス様は不利になるだけでした。
 その時、イエス様はどうしたのでしょうか。デナリを持って来させて言われました。「これは、だれの肖像ですか。だれの銘ですか。」すると彼らは答えました。「カイザルのです。」そこで、イエス様は言われました。「それなら、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」私たちは、天の御国に市民権を持つ者として、その義務を果たし、この国の国民としてその義務を果たさなければなりません。

祈り:主よ!私がこの国の国民として、義務を果たすことができるように、導いてください

一言:カイザルのものはカイザルに



2015年 11月 16日 (月)

マタイ22:22-33
生きている者の神

 復活はないと言っているサドカイ人たちが、イエス様のところに来て、質問しました。「先生。モーセは『もし、ある人が子のないままで死んだなら、その弟は兄の妻をめとって、兄のための子をもうけねばならない。』と言いました。ところで、私たちの間に七人兄弟がありました。長男は結婚しましたが、死んで、子がなかったので、その妻を弟に残しました。次男も三男も、七人とも同じようになりました。そして、最後に、その女も死にました。すると復活の際には、その女は七人のうちだれの妻なのでしょうか。彼らはみな、その女を妻にしたのです。」サドカイ人たちは、当時の風習に基づいて、復活を否定するために、イエス様におかしな質問をしました。
 イエス様は、サドカイ人たちが霊的な無知であることを指摘された後、出エジプト記の御言葉を引用して言われました。「『わたしは、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。』とあります。」(出3:6)。時制は現在です。イスラエルの先祖アブラハムと、イサクと、ヤコブは死にましたが、主の中に眠っています。神様は死んだ者の神様ではなく、生きている者の神様です(32)。復活の時には、永遠のいのちを得るので、後継ぎのことで、めとることも、とつぐこともありません。

祈り:主よ!私に復活信仰がなかったことを悔い改めます。死んだ後の復活を信じます。

一言:生きている者の神様



2015年 11月 17日 (火)

マタイ22:34-46
大切な戒め

 律法の専門家が、イエス様をためそうとして、質問しました。「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」数多い戒めの中で、優先的に守るべきものは何であり、どんな姿勢を持って、守らないとならないのでしょうか。
 イエス様は答えて言われました。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これが大切な第一の戒めです。」(37,38)。モーセの十戒が中心になります。ところが、神様に対しては、「してはならない」と書かれていました。安息日に対しては、聖別して、守るようにと言っています。神様が私たちを愛してくださったように、私たちも神様を愛するように、と記されています。一言で、神様を愛するように、と戒められています。
 続けて、イエス様は、隣人愛についても、話されました。「『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」(29,30)。イエス様は、隣人を愛することも、神様を愛するのと同じくらいに大切であると、言われました。
 イエス様は、私たちを愛され、私たちの代わりに、十字架の上で尊い血を流されました。イエス様が私たちを愛してくださったように、私たちは誰よりもイエス様を愛する必要があります。そして、イエス様が私を愛してくださったように、そのように隣人を愛することを、求められます。

祈り:罪によって、滅びるしかなかった私たちを愛してくださり、イエス様の十字架の血によって、贖い出してくださり、感謝します。

一言:神様への愛、隣人愛


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