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2004年 12月 23日 (木)

マタイノ福音書1:1-17
恵みと憐れみの主

Ⅰ.恵みと憐れみが満ちていたイエス様(1-11)
 イエス様はアブラハムとダビデの子孫です。神様は、アブラハムとダビデに彼らの子孫の中でキリストを送ると、約束されました(創22:17,19,Ⅱサム7:12,13)。それでイエス様は神様が約束されたキリストです。アブラハムから始まり、ダビデを経て、イエス様に至るイエス様の系図には、三人の女性が登場します。ところが彼女たちは異邦の女であり、特にタマルとラハブは不倫の女でした。しかしこの女たちには信仰がありました。神様は、彼女たちをご自分の救いの御業に尊く用いられました。この神様は卑しい者たちを受け入れ、用いられる憐れみの神様です。人間的な条件よりは信仰をご覧になる恵みの神様です。
Ⅱ.歴史の中心になるイエス様(12-17)
 アブラハムから始まったユダの歴史は、アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロン移住までが十四代、バビロン移住からキリストまでが十四代です。ユダの歴史は栄枯盛衰を経ています。大切なのはイスラエルの全ての歴史がイエス様の誕生に集約されるということです。神様は約束されたキリストをお遣わしになるまで、激しく働かれました。この神様はキリストが再臨され、世をさばき、神の国が臨まれるまで激しく働かれます。歴史の中心はキリストであり、四人の女性のようにイエス様を信じ、聞き従う者たちが歴史の主人公です。

祈り:主よ!過ちが多く、足りない罪人を救ってくださり、救いの御業に用いてくださり、心から感謝します。

一言:恵みと憐れみの主



2004年 12月 24日 (金)

マタイノ福音書1:18-25
その名をイエスとつけなさい

Ⅰ.罪から救ってくださる方イエス様(18-21)
 ヨセフと婚約した処女マリヤが身重になると、ヨセフはこれを公にはせず、内密に去らせようとしました。その時、主の使いがヨセフの夢に現われ、マリヤが身ごもっている子どもが誰であるのかを知らせてくれました。主の使いは、初めにイエス様が人間的な方法によってではなく、聖霊の力で身重になったことを知らせてくださいます。聖霊によって身重になったことで、イエス様は普通の人とは違い、罪がない方です。主の使いは、またマリヤが男の子を産むので、その名を「イエス」とつけるように言いました。「イエス」は「主は救いです」という意味です。世の中には多くの問題がありますが、もっとも根本的な問題は罪の問題です。罪が人を不幸にし、滅ぼします。罪から来る報酬は死であり(ロマ6:23)、その後にはさばきがあります(ヘブ9:27)。誰も、何も罪の問題を解決することができません。イエス様は死とさばきから私たちを救うためにこの世に来られました。
Ⅱ.インマヌエルのイエス様(22-25)
 イエス様のまた他の名前は「インマヌエル」です(23)。この名前は「私たちとともにおられる神様」という意味です。聖なる神様は醜くにおいがする私たちと共におられるために、肉の体を着てこの世に来られました。「インマヌエル」のイエス様は私たちの友だちになり、牧者になり、救い主になられます。このイエス様を受け入れる時、私たちは慰めと力を受け、罪と悲しみから救いを受けることができるのです。

祈り:主よ!罪と悲しみから私を救うために肉の体を着て、この地に来られたイエス様の大きな恵みに感謝します。

一言:その名はイエス



2004年 12月 25日 (土)

マタイノ福音書2:1-12
ひれ伏して拝んだ

Ⅰ.王であり牧者としてお生まれになったイエス様(1-8)
 ユダヤの王ヘロデの時に、東方から博士たちがエルサレムを訪ねて来ました。彼らは聖書に約束されたメシヤの星を見て、彼を拝みに来ました(民24:17)。イエス様は全ての民から崇められる王であり、牧者です(6)。イエス様はヘロデのように権力で人を治める王ではありません。イエス様は愛と平和で私たちを治められます。またイエス様は子羊を胸に抱いて、いなくなった羊を探すよい牧者です。このイエス様に治められる時、本当の幸せがあるのです。
Ⅱ.ひれ伏して拝んだ博士たち(9-12)
 イエス様の誕生の知らせを聞いたエルサレムに大きな騒動が起き、ヘロデは幼子イエス様を殺そうとたくらみました。しかし東方の博士たちは星の導きを受け、幼子イエス様のもとに行きました。本当の礼拝の対象であるキリストを見つけた彼らはこの上もなく喜びました。彼らは家に入り、幼子イエス様が母マリヤとともにおられるのを見ました。彼らは、このイエス様が聖書に約束されたユダ人の王であり、イスラエルの牧者であることを知りました。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげました。 本当の礼拝の対象を見つけ、その前にひれ伏して拝み、帰って行く博士たちこそが最も幸せな人々です。イエス様がお生まれになったことを聞き、騒いでたくらみ、自分が崇められようとしたヘロデは絶対にこの幸せを知ることができませんでした。

祈り:主よ!主だけが私の王であり、礼拝の対象です。私が東方の博士たちのように最も尊いものをささげ、礼拝します。

一言:ひれ伏して拝んだ


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