聖書別日ごとの糧   >>   マルコ[2010]

2010年 07月 08日 (木)

マルコ1:1-8
イエス・キリストの福音のはじめ

Ⅰ.悔い改めのバプテスマを宣べ伝えたヨハネ(1-5)
 マルコは、神の子イエス・キリストの福音のはじめ、を宣告しました(1)。ところがキリストの福音がはじまる前に、それを準備する人々がいました。それについて、神様は預言者イザヤを通して、すでに言われました。「見よ。わたしは使いをあなたの前に遣わし、あなたの道を整えさせよう。」(2,イザ40:3)。イザヤが預言した「使い」はバプテスマのヨハネです。彼は荒野で「罪の赦しのための悔い改めのバプテスマ」を宣べ伝えることで、主の道を用意しました(4)。するとユダヤ全国の人々とエルサレムの全住民が彼のところへ行き、自分の罪を告白して、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けていました(5)。
 イエス・キリストの福音がはじまるためには、バプテスマのヨハネのように、悔い改めのバプテスマを叫ぶ人がいなければなりません。なぜならキリストの福音が働くためには、私たちがまず悔い改めなければならないからです。
Ⅱ.聖霊のバプテスマを授けるイエス様(6-8)
 ヨハネは悔い改める者に、キリストの福音がどのように働くのか、について、証しました。「私はあなたがたに水でバプテスマを授けましたが、その方は、あなたがたに聖霊のバプテスマをお授けになります。」(8)。ここで、「水のバプテスマ」とは悔い改めようと決断した人々に、そのしるしとして与えるバプテスマです。このように悔い改めを決断した人々には、キリストが「聖霊」をくださり、救いの確信を持たせてくださいます。また、彼らを生まれ変わらせて、聖なる神様の御姿に従って生きようとする望みと力が与えられます。

祈り:主よ!私が罪を当然のように感じたり、楽しもうとせずに、悔い改めることで、聖霊のバプテスマを受けるように、助けてください。

一言:悔い改めのバプテスマを受けよう



2010年 07月 09日 (金)

マルコ1:9-13
福音の御業をはじめられたイエス様

Ⅰ.バプテスマをお受けになったイエス様(9-11)
 ヨハネが悔い改めのバプテスマを宣べ伝えていた時、イエス様がガリラヤのナザレからヨルダン川に来られ、ヨハネからバプテスマをお受けになりました。罪がないイエス様が悔い改めのバプテスマをお受けになったのには、特別な意味がありました。イエス様は神様の御子でしたが、バプテスマをお受けになることで、罪人のように、なられました。また、バプテスマのヨハネからバプテスマをお受けになることで、バプテスマのヨハネに続いて、神様の救いの御業をはじめようとされました。イエス様のバプテスマはキリストとしての就任式でした。イエス様がバプテスマをお受けになる時、天が裂けて御霊が鳩のように下られてから、同時に神様の御声がしました。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」(11)。イエス様は罪人たちと共にバプテスマをお受けになりましたが、もともとは神様の御子です。このイエス様だけが、神様が認められた唯一のキリストです(使4:12)。
Ⅱ.誘惑を受けられたイエス様(12,13)
 キリストの就任式を終えるとすぐに、御霊はイエス様を荒野に追いやられ、イエス様は四十日間荒野で、サタンの誘惑を受けられました。では、イエス様がなぜサタンの誘惑を受けられたのでしょうか。これは、人間に罪が入って来たのが、まさに最初の人アダムがサタンの誘惑に落ちて、神様の御言葉を破ったからです。それでイエス様がキリストになるためには、人のようにサタンの誘惑を受け、また勝たなければなりませんでした。イエス様はまさにこのサタンの誘惑に打ち勝たれました。

祈り:主よ!バプテスマをお受けになることで、罪人のようになりましたが、サタンの誘惑に打ち勝つことで、救い主となられた主を賛美します。

一言:あなたは、わたしの愛する子



2010年 07月 10日 (土)

マルコ1:14-20
悔い改めて福音を信じなさい

Ⅰ.神の国を伝えられたイエス様(14,15)
 ヨハネが捕らえられた後、イエス様はガリラヤに行かれ、神様の福音を伝えました。「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」(15)。イエス様が伝えたのは、「神の国」です。神の国は、神様が治められる領域を指しています。神様が私たちの心を治めるなら、私たちの心に神様の国が臨むようになります。そこには、救いといのち、愛と平和があります。人には多くの問題がありますが、そのすべての原因は、神様の統治を受けないことにあります。イエス様は私たちを罪とサタンの統治から救うために、また私たちの心に神様の国が臨むために、来られました。
Ⅱ.弟子たちを召されたイエス様(16-20)
 ガリラヤ湖のほとりを通られたイエス様は、シモンとその兄弟アンデレが湖で網を打っているのをご覧になりました(16)。また少し行かれると、ヤコブとその兄弟ヨハネが網を繕っているのをご覧になりました。そして彼らに言われました。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」(17)。召された漁師たちは船と網を捨てて、イエス様について行きました。
 イエス様は福音の御業をはじめながら、まず一番最初にご自分の弟子たちを召されました。このように福音の御業は、一人一人を弟子として呼んで、育てることからはじまります。

祈り:主よ!足りない者をイエス様の弟子として召してくださり感謝します。私が神様の福音を宣べ伝える福音の働き人になるように、助けてください。

一言:福音伝道と弟子養成



2010年 07月 11日 (日)

マルコ1:21-28
御言葉の権威イエス様

Ⅰ.権威ある御言葉を教えられたイエス様(21,22)
 カペナウムに入られたイエス様は、安息日に会堂で、人々に教えられました(21)。人々はイエス様の教えに大きな感動を受け、驚きました。著者はその原因を、イエス様の教えが律法学者たちのようではないからだ、と説明しています(22)。律法学者たちは知識も多く、うまく話もできました。しかしその内容は主に律法と伝統でした。彼らの教えは乾ききり、生命力がありませんでした。
 しかしイエス様は悔い改めと福音を、また神様の救いを教えられました。イエス様はまた、このような御言葉をたいへんわかりやすく、具体的に、また実践的に教えられました。何よりイエス様は民たちに対する切実な愛がありました。そのような時、イエス様の教えは人々の心に入っていきました。
Ⅱ.汚れた霊を追い出されたイエス様(23-28)
 その時、汚れた霊につかれた人が、イエス様の御言葉を聞いていて、叫んで言いました(23)。「ナザレの人イエス。いったい私たちに何をしようというのです。」(24)。その時、イエス様はその人のうちに働いている汚れた霊を叱りました(25)。「黙れ。この人から出て行け」すると汚れた霊がその人から出て行きました。イエス様の御言葉の力は人々の心を感動させるのにとどまりません。イエス様の御言葉には人の心のうちに働く汚れた霊を追い出す力があります。

祈り:主よ!主の御言葉によって、私から汚れた霊を追い出してください。そして私も権威ある御言葉のしもべにしてください。

一言:御言葉の権威



2010年 07月 12日 (月)

マルコ1:29-39
福音を知らせるために来られたイエス様

Ⅰ.ペテロの家を訪問したイエス様(29-31)
 会堂から出て来たイエス様は、その弟子シモンの家を訪問しました(29)。ところがシモンの家に言ってみると、彼のしゅうとめが熱病で床に着いていました。イエス様はシモンのしゅうとめに近寄り、その手を取って起こされました。すると熱がひきました。イエス様は弟子たちの家庭を訪問されることで、彼らと人格的な関係を深く結ばれました。また忙しい御業の中でも、一人を具体的に助けてくださいました。
Ⅱ.わたしは、そのために出て来たのだから(32-39)
 日が沈むころ、人々がすべての病人や悪霊につかれた人を連れて、イエス様のもとに来ました(32)。疲れた夕方に、それも担いきれない重病人と悪霊につかれた人々が集まって来ましたが、イエス様は彼らをみな受け入れてくださいました。そしてさまざまの病気にかかっている多くの人をいやし、悪霊を追い出されました(34)。そして次の日の朝には、寂しい所へ行って祈られました。ところが朝早くから群集がまた集まって来ました。弟子たちは、「みんながあなたを捜しております」と興奮しました。しかしイエス様は意外なことを言われました。「さあ、近くの別の村里へ行こう。そこにも福音を知らせよう。わたしは、そのために出て来たのだから。」(38)。
 イエス様は人々の要求や人気にとらわれずに、神様が任された伝道に忠実であることによって、使命人としての中心を守りました。その秘訣は、朝早く起きて、祈ることにありました。

祈り:主よ!私が、神様が任された一人のたましいを具体的に顧みて、伝道者としての使命に忠実になれるように、助けてください。

一言:わたしは、そのために来たのだから。



2010年 07月 13日 (火)

マルコ1:40-45
ツァラアトに冒された人をきよめられたイエス様

Ⅰ.イエス様に出て来たツァラアトに冒された人(40)
 イエス様が村にとどまっている間、ツァラアトに冒された人がイエス様のところに出て行き、ひざまずきました。人々は、ツァラアトを神様の呪いであり、天罰であると考えていました。またツァラアトは伝染力が強い、不治の病だったので、人々はツァラアトに冒された人が来ると石を投げました。ところがこのツァラアトに冒された人はイエス様に出て行き、救いを求めました。「お心一つで、私をきよくしていただけます。」(40b)。彼は石にぶつけられて死ぬかもしれない危険と、自分の醜い姿による羞恥心を乗り越えて、イエス様に出て行きました。彼がこのようにできたのは、イエス様の大きな愛と力を信じたからです。
Ⅱ.ツァラアトにさわられたイエス様(41-45)
 イエス様は彼に「なぜそのように醜くなったのか」ととがめませんでした。むしろ彼を深くあわれまれました。イエス様は彼の苦痛と淋しさを知っておられました。それで彼の醜いからだに手を伸ばして、大いなる愛を示されました。そして言われました。「わたしの心だ。きよくなれ。」(41b)。するとツァラアトが消えて、その人はきよくなりました。罪でみにくくなった人は孤独と絶望の中で、生きるしかありません。イエス様は、罪でみにくくなった私たちが聖なるきよい人になることを願われます。私たちが信仰によってイエス様に出て行けば、イエス様は私たちをきよめてくださり、聖なる生活を生きるように助けてくださいます。

祈り:主よ!みにくい罪によって病んだ私をきよめてくださり、感謝します。この恵みを覚え、罪で病んだたましいを主に導くように、助けてください。

一言:わたしの心だ、きよくなれ


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