聖書別日ごとの糧   >>   マルコ[2010]

2010年 07月 14日 (水)

マルコ2:1-12
罪を赦す権威を持っておられるイエス様

Ⅰ.あなたの罪は赦されました(1-5)
 イエス様が家におられるという知らせを聞いて、多くの人々がその家に集まって来ました。それで戸口のところまでも、体を動かすことができませんでした。ところが、そこに四人がひとりの中風の人をかついで来ました。当時、中風はツァラアトのように不治の病として、罪に対する刑罰だと考えられていました。彼がイエス様のところに出て行きましたが、多くの人々のために、イエス様の御前に出て行くことができませんでした。しかし彼らは放棄しませんでした。彼らは屋根をはがして穴をあけ、中風の人を寝かせたままその床を、イエス様のところまでつり降ろしました(4)。人として見ると、彼らの行ないは無礼なことこの上ないことです。しかしイエス様は彼らの信仰をご覧になりました。そして中風の人に、「子よ。あなたの罪は赦されました。」と言われました(5)。当時、多くの人々は、イエス様が病を治される方として、考えていましたが、その四人は、イエス様が罪を赦すために来られたキリストであることを、信じていました。イエス様は、信仰によって出て来た人は誰であっても、すべての罪を赦してくださいます。
Ⅱ.「起きて、寝床をたたんで歩け」(6-12)
 そこにいた律法学者たちは、心の中でイエス様を非難しました(7)。イエス様はこのような彼らに、ご自分が罪を赦す権威があることを知らせようと、また床に伏していた中風の人に向かって言われました。「あなたに言う。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい。」(11)。すると彼はすぐに起き上がり、床をたたんで、群集の見ている前を出て行きました。人が罪の赦しを受ける時、その人生が変わり、力強い人生を生きることができます。

祈り:主よ!私が日々信仰によって主に出て行き、罪の赦しの恵みを受け、力強い人生を生きるように、助けてください。

一言:罪を赦す権威



2010年 07月 15日 (木)

マルコ2:13-17
罪人を招くために来られたイエス様

Ⅰ.わたしについて来なさい(13,14)
 イエス様は道を通っておられると、取税人レビが収税所にすわっているのをご覧になりました。当時、取税人たちは同族たちから、決められたもの以上に多くの税金を集めて、着服していました。人々は、取税人たちの不正と悪辣さを知っていましたが、ローマ政府の権力のために、どうすることもできませんでした。人々は彼に指を指して、相手にしようとしませんでした。しかしイエス様はこのようなレビに言われました。「わたしについて来なさい。」イエス様がご覧になる時、レビが罪に落ちたのはお金についていったからです。人生の方向を誤ったのです。イエス様は、レビがご自分について来させることによって、彼の人生の方向を正しく修正してくださいました。イエス様がレビを弟子としてお立てになれば、多くの非難を受けるでしょう。しかしイエス様は彼を弟子として召され、育てられることで、彼を聖マタイに変えてくださいました。
Ⅱ.罪人を招くために来たのです(15-17)
 レビはイエス様のために自分の家で宴会を開いて、彼の同僚である取税人と多くの人々を招きました(15)。パリサイ人と律法学者たちは、彼らとともにおられるイエス様を、非難しました。このような彼らにイエス様は言われました。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」イエス様にとって、罪人は殺すべき人ではなく、病んだ人々でした。そしてその病を治療すれば、彼らの人生が健康になり、彼らの可能性が生かされると、考えておられました。

祈り:主よ!罪に病んでいた私を赦してくださり、弟子として召してくださり感謝します。私がすべてのものを捨てて、イエス様について行けるように助けてください。

一言:イエス様について行きます



2010年 07月 16日 (金)

マルコ2:18-28
安息日の主であるイエス様

Ⅰ.花婿であるイエス様(18-22)
 パリサイ人たちが断食の問題で、イエス様に話しかけました。「ヨハネの弟子たちやパリサイ人の弟子たちは断食するのに、あなたの弟子たちはなぜ断食しないのですか。」というのです(18)。イエス様はこのような彼らに言われました。「花婿が自分たちといっしょにいる間、花婿につき添う友だちが断食できるでしょうか。花婿といっしょにいる時は、断食できないのです。」(19)。
 旧約聖書には、来るキリストを「花婿」として、たとえている御言葉があります。イエス様は、この御言葉を通して、ご自分がキリストであることを宣布されました。そして信仰生活は、断食のように苦痛のあるものではなく、婚礼の宴会のように喜びがあり、楽しいものであることを、教えてくださいました。
Ⅱ.人の子は安息日にも主です(23-28)
 弟子たちが、安息日に、麦畑の中を通って行き、穂を摘んで食べました。ところが彼らの後について行き監視していたパリサイ人たちが、これを見て、「安息日に働いた」と言って、言いがかりをつけました(24)。
 その時、イエス様はダビデの例をあげて、律法の根本精神を教えてくださいました。安息日は人のためにあるものであって、人が安息日のためにあるのではありません(27)。神様が律法をくださったのは、人のいのちと尊厳を守り、しあわせな人生を生きるようにするため、です。
 それだけではなく、イエス様は安息日の主です。安息日は、イエス様を中心に迎え入れて、からだと心が安らぎを得る日です。

祈り:主よ!私が律法にとらわれて、堅苦しい信仰生活をせずに、花婿であるイエス様を心の中心にお迎えして、喜びと安らぎを得るように、助けてください。

一言:イエス様の中で、喜びと安らぎを


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