聖書別日ごとの糧   >>   マルコ[2010]

2010年 07月 24日 (土)

マルコ6:1-13
十二弟子を遣わされたイエス様

Ⅰ.排斥されたイエス様(1-6)
 弟子たちとともに郷里に行かれたイエス様は、安息日に会堂で御言葉を教えられました。イエス様の御言葉を聞いて、多くの人々がその知恵と力あるわざに驚きました(2)。しかし彼らはすぐにイエス様の人間的な条件を考え、イエス様につまずきました(3)。それでイエス様は少数の病人に手を置いていやされただけで、そこでは何一つ力あるわざを行うことができませんでした。
 彼らがイエス様を排斥したのは不信仰によるものです(6)。不信仰は霊的な目を暗くします。イエス様はご自分を信じずに尊敬しない人々には、力あるわざを行われません。
Ⅱ.弟子たちを遣わされたイエス様(7-13)
 イエス様は弟子たちを二人ずつ組にして遣わされ、彼らに汚れた霊を追い出す権威をお与えになりました。そして彼らに、何も持って行ってはならない、と命じられました。それは、弟子たちがただ福音を伝えることにだけ専念させるためであり、またすべてのものを備えてくださる神様だけに頼らせるためでした。
 弟子たちが、この命令に従うのはやさしいことではありませんでした。しかし弟子たちはイエス様の命令に聞き従い、大胆に悔い改めの福音を伝えました。その時、弟子たちは悪霊を追い出し、大勢の病人をいやすことができました。イエス様の郷里の人々とは違い、弟子たちはイエス様を信じ、御言葉に従ったので、イエス様は彼らを通して力あるわざを行われました。

祈り:主よ!私が主の命令に従って、ただ神様だけを信じ、福音を伝えることができるように、助けてください。

一言:神様だけに頼る



2010年 07月 25日 (日)

マルコ6:14-29
バプテスマのヨハネの殉教

Ⅰ.悔い改めないヘロデ王(14-29)
 弟子たちの伝道旅行によって、イエス様の名前が知れ渡るようになりました。人々はイエス様を、「エリヤだ」、「昔の預言者の中の一人だ」と考えていました。またヘロデは、「私が首をはねたあのヨハネが生き返ったのだ」と言って恐れました。バプテスマのヨハネは、ヘロデが自分の兄弟ピリポの妻をめとったこと、を咎めました。しかしヘロデは悔い改めるどころか、むしろヘロデヤの悪巧みに落ちて、自分の誕生日に、バプテスマのヨハネの首をはねて、ヘロデヤの娘に、ほうびとして与えました(27,28)。悔い改めなければならない時に、悔い改めなかった彼は、結局義人バプテスマのヨハネを殺すという、さらに大きな罪を犯すようになりました。そして罪意識のために、恐れに捕らわれていました。誰でも悔い改めなければ、罪の支配を受けるようになります。
Ⅱ.バプテスマのヨハネの死の意味(20)
 バプテスマのヨハネは正しい聖なる人でした(20)。彼は神様の前で生きていました。彼は神様のほかは誰も恐れませんでした。彼はヘロデの罪を咎めて、ヘロデヤの憎しみを買い、殺されました。しかし彼の死は決して無意味な死ではありませんでした。彼は不義の時代に、正しく生きて死にました。彼は決して罪と妥協せずに、神様の正義を宣布しました。イエス様はこのような彼を、「女から生まれた者の中で、最もすぐれた者」として評価されました(ルカ7:28)。彼の人生は、今も神様の救いの御業の中で、美しい香りを放っています。

祈り:主よ!私が罪を犯すそのたびに悔い改めて、バプテスマのヨハネのように、いつも正しく生きるように助けてください。

一言:正しく、きよく生きる



2010年 07月 26日 (月)

マルコ6:30-44
あなたがたで、あの人たちに何か食べる物を上げなさい

Ⅰ.群集を憐れまれたイエス様(30-34)
 伝道旅行から帰って来た使徒たちは、自分たちのしたこと、教えたことを残らずイエス様に報告しました。イエス様は、彼らがたいへん疲れているのをご覧になり、「寂しい所へ行って、しばらく休みなさい」と言われました。それで弟子たちは船に乗って、湖を渡って行きました。ところがそれを見た群集が徒歩で駆けつけ、使徒たちよりも先に着いていました。弟子たちは、休む暇も与えない彼らが疎ましく思えました。しかしイエス様は、まるで羊飼いのいない羊のような彼らを憐れまれました。そしていろいろと神様の御言葉を教えられました。イエス様は羊飼いのいない彼らを憐れまれ、彼らの牧者になるために、労苦を担われました。また、彼らにもっとも必要なものが神様の御言葉であること、を知っておられました。
Ⅱ.五千名を食べさせられたイエス様(35-44)
 イエス様が群集に御言葉を教えられた時、夕方になり、時刻も遅くなっていました。場所もまた、へんぴな所でした。弟子たちはイエス様に、群集を解散させ、何か食べる物をめいめいで買うようにさせてください、と提案しました(36)。しかしイエス様は言われました。「あなたがたで、あの人たちに何か食べる物を上げなさい。」(37)。イエス様は、弟子たちが群集の牧者になること、を願われました。しかし弟子たちにはお金がないので、不可能だと答えました。イエス様は、彼らにある五つのパンと二匹の魚で、五千人を食べさせました。これを通して、イエス様は牧者の心情と、イエス様を信じる信仰さえあれば、多くの群集を食べさせる大きなことができること、を教えてくれました。

祈り:主よ!私にも兄弟たちに向けられた牧者の心情を持つことができるように、助けてください。

一言:あなたがたで、何か食べる物を上げなさい



2010年 07月 27日 (火)

マルコ6:45-56
しっかりしなさい、恐れることはない

Ⅰ.祈るために、山のほうに向かわれたイエス様(45,46)
 五千名を食べさせた後、イエス様は弟子たちを強いて舟に乗り込ませ、ベツサイダに行かせました。そして群集に別れ、祈るために、山のほうに向かわれました。イエス様は大きな御業を成し遂げた後には、いつでも寂しい所に行かれ、祈られました。祈りを通して、神様と深い交わりをもたれました。
 多くの仕事をしたり、大きなことを成した後には、傲慢になりやすいです。また疲れて、さまざまな誘惑に落ちてしまいがちです。仕事を多くするほど、大きな仕事をする時ほど、祈りに力をいれなければなりません。
Ⅱ.しっかりしなさい。恐れることはない(47-56)
 弟子たちが乗った舟が、湖の真ん中に出ていました。突然激しい風が吹き、舟がゆれ動き出しました。弟子たちは力をこめて櫓をこぎましたが、どうすることもできませんでした。その時、祈るために山に向かわれたイエス様が、湖の上を歩いて彼らのところに来られました。弟子たちは幽霊だと思い、驚きました。イエス様はこのような彼らに「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言って、慰めました(50)。イエス様が舟に乗り込まれると、風がやみました。
 では、少し前に五つのパンと二匹の魚の奇跡を体験した弟子たちが、なぜ恐れに捕らわれたのでしょうか。それは、彼らがパンのことから悟ることがなく、その心は堅く閉じていたからです(52)。彼らは、五つのパンと二匹の魚で五千人を食べさせたイエス様を体験したにもかかわらず、実際のできごとの前で、イエス様をまったく仰ぎ見ませんでした。

祈り:主よ!私が問題にぶつかった時、いつも全能なるイエス様を仰ぎ見ることで、平安な生活を送れるように、祈ります。

一言:イエス様を信じて、しっかりしよう


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