聖書別日ごとの糧   >>   マルコ[2010]

2010年 07月 28日 (水)

マルコ7:1-23
人を汚すもの

Ⅰ.偽善者であるパリサイ人たち(1-13)
 エルサレムから来たパリサイ人たちと幾人かの律法学者たちは、「弟子たちが手を洗わないで、パンを食べている」と言って、非難しました。彼らは長老たちの伝統に従って、食事をする前には必ず手を洗いました。彼らは本当に敬虔な人々のようでした。しかしイエス様は彼らを「偽善者だ」と言って咎められました。「偽善者」とはうわべだけの、外側と内側が違うという意味です。彼らは口先では神様を敬いますが、心は神様から離れていました(6)。彼らは、うわべでは神様の戒めを守っているように見えましたが、実際は、人々が作った伝統を守るために、神様の戒めをないがしろにしました(8)。彼らは神様によく見せようとすることより、人々によく見せようと外側を飾りました。
Ⅱ.人を汚すもの(14-23)
 イエス様は、外側から人に入って行くものが人を汚すのではなく、人から出て来るものが、人を汚すと言われました(15)。外から人に入って行く食物は腹に入り、そして、かわやに出されるだけなので、人の心を汚すことができません(19)。しかし人の心の中から出る悪い考え、すなわち不品行(淫乱)、盗み、殺人、姦淫、貪欲、欺き、高ぶりなどは人を汚します。それで私たちが手を洗うのに神経を使うのではなく、心にある罪を悔い改め、イエス・キリストの尊い血で心を洗うのに、気を配らなければなりません。

祈り:主よ!私の偽善を悔い改めます。キリストの尊い血で、心の中の悪い考えを洗い流すように、祈ります。

一言:心を洗おう



2010年 07月 29日 (木)

マルコ7:24-37
私たちの祈りを聞かれるイエス様

Ⅰ.そうまで言うのですか(24-30)
 イエス様がツロの地方へ行かれた時でした。汚れた霊につかれた小さい娘のいる女がこのことを知り、イエス様のところにやって来て、「小さい娘を直してくださるように」と哀願しました。ところが女の哀願にも関わらず、イエス様は、「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです」と拒絶されました。この御言葉は、彼女が異邦人のギリシャ人なので、助けてあげることはできない、という意味です。女は、一言で、イエス様から犬のような扱いを受けました。どれだけ自尊心が傷ついたのでしょうか。しかし女は、自分がイエス様の助けを受けるだけの資格がない者であることを認めました。そしてただイエス様の恵みを求めました(28)。彼女には娘を直そうとする切実なる愛がありました。何より謙遜でした。イエス様はこのような彼女に恵みを施してくださいました。
Ⅱ.口のきけない人を直されたイエス様(31-37)
 イエス様はシドンを通って、もう一度、ガリラヤ湖に来られた時でした。人々は、耳が聞こえず、口のきけない人を連れて来て、彼の上に手を置いてくださるように、願いました。それでイエス様は彼らの願いを聞き入れ、その人に「エパタ」(開け)と言われました。すると彼の耳が開き、舌のもつれもすぐに解け、はっきりと話せるようになりました。今日、霊的な耳が聞こえずに、神様の御言葉を聞くことができない人々がいます。彼らは分別力がなく、人生の姿勢がはっきりとしません。もどかしく思います。彼らはイエス様から治療を受けなければなりません。

祈り:主よ!私にもスロ・フェニキヤの女のように謙遜に求める姿勢をください。

一言:謙遜であるなら、イエス様の助けを受けることができる


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