聖書別日ごとの糧   >>   マルコ[2010]

2010年 08月 09日 (月)

マルコ11:1-11
ろばの子に乗られたイエス様

Ⅰ.主がお入用なのです(1-6)
 イエス様は、エルサレムの近くに来られると、二人の弟子を使いに出して、「ろばの子をほどいて、引いて来るように」と命じられました(2)。そして主人が尋ねるなら、「主がお入用なのです。」と答えるように、言われました(3)。なぜならイエス様は、万物を創造された万有の主であり、ろばの本当の主人であるからです。イエス様は、ろばの本当の主人として、いつでも必要な時に、用いることができます。弟子たちが信仰によって、御言葉に従って出て行った時、ろばの子を引いて来ることができました(6)。このできごとを通して、弟子たちは御言葉の力を体験し、イエス様が万有の主であることを、受け入れるようになりました。
Ⅱ.主の御名によって来られる方(7-11)
 弟子たちは、ろばの子を引いて来て、自分たちの上着をその上に掛けました。するとイエス様はろばの子に乗って、エルサレムの町に入城されました。数多くの人々が自分たちの上着を道に敷いて、木の枝を道に敷いて、賛美しました。「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。祝福あれ。いま来た、われらの父ダビデの国に。ホサナ。いと高き所に。」(9,10)。ろばの子に乗って入城されたイエス様は、謙遜で、正しく、救いを施してくださる方です(ゼカ9:9)。イエス様は王の王であり、万有の主ですが、謙遜にご自分を低くされ、ろばの子に乗りました。それで謙遜な者だけが、このイエス様に出会うことができ、イエス様を王として、迎え入れることができます。イエス様は私たち人間の賛美と礼拝を受けるに、ふさわしい方です。

祈り:主よ!謙遜で、ろばの子に乗って来られた主を受け入れます。私の心を謙遜にし、主の御業に用いてください。

一言:ろばの子に乗って来られた謙遜の王



2010年 08月 10日 (火)

マルコ11:12-19
宮をきよめられたイエス様

Ⅰ.いちじくの木を呪われたイエス様(12-14)
 翌日、イエス様がベタニヤを出た時、ひどい空腹を覚えられました。イエス様は、遠くから葉の茂った一本のいちじくの木をご覧になり、実を取って食べようと近づいて行かれました(13)。イエス様は、実がなく、葉だけが生い茂ったいちじくの木を呪われました。「今後、いつまでも、だれもおまえの実を食べることのないように。」(14)。イエス様は、木の葉を願われるのではなく、実を願われました。理由はどうであれ、イエス様が必要とされる時、実のないいちじくの木は呪いを受けました。何の実もなく、葉だけが生い茂った人、集まり、国はイエス様の呪いを逃れることができません。
Ⅱ.宮をきよめられたイエス様(15-19)
 イエス様は宮の中に入って行かれ、そこで売り買いしている人々を追い出しました。また、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛を倒しました。イエス様は、聖なる宮を強盗の巣にしてしまった者たちを追い出され、宮をきよめられました。そして「宮」とは、すべての民のために祈る所である、ことを教えてくださいました。宮は、罪人たちが聖なる神様に出会う聖所と至聖所がある神様の家です。ここでは、罪人たちが神様の御前で悔い改め、罪の赦しを受け、また世界のすべての民のために祈る所です。宮が祈る所ではないのなら、葉だけが生い茂ったいちじくの木のように、さばきを受けるようになります。

祈り:主よ!実がなく、葉だけが生い茂った自分を発見しました。これからは祈りの人に変えてください。

一言:すべての民のために祈る家



2010年 08月 11日 (水)

マルコ11:20-25
神を信じなさい

Ⅰ.神を信じなさい(20-24)
 次の日の朝、弟子たちは、前の日にイエス様が呪われたいちじくの木が根まで枯れているのを、見ました。それでペテロがひどく驚いて言いました。「先生。ご覧なさい。あなたののろわれたいちじくの木が枯れました。」(21)。イエス様は、驚くペテロに、「神を信じなさい。」と言われました(22)。神様は全知全能なる方です。この神様を信じる時、だれでも驚くべきことを行なうことができます。神様を信じる時、山を海に投げ入れることができます。ただ、心の中で疑わず、自分の言ったとおりになると信じていなければなりません(23)。信仰とは、少しの疑いもなく、全面的に信頼して、確信することです。信じる者には不可能なことがありません。それで祈って、求めるものは何でも受けると信じていなければなりません。そうすればその通りのことが起こります。疑いを持つ者は風に吹かれてゆれ動く海の波のようであり、何も得ることができません(ヤコ1:6,7)。
Ⅱ.赦してやりなさい(25)
 立って祈っている時、だれかに対して恨み事があるなら、まず赦してあげなければなりません。赦せない心で、神様の前に立つことができず、祈りの答えを受けることができません。人々は、神様との垂直的な関係さえ良ければいい、と考えます。しかしほかの兄弟との水平的な関係が回復なしに、神様との正しい関係を維持することができません。それで、まず兄弟を赦し、愛の関係性を回復しなければなりません。そうすれば、神様と正しい関係性の中で、祈ることができます。

祈り:主よ!私に神様を信じる信仰がありません。心の中にある全ての疑いを取り除き、信仰の人に変えてください。

一言:神を信じなさい



2010年 08月 12日 (木)

マルコ11:27-33
天から来る権威

Ⅰ.何の権威によって、これらのことをしておられるのですか(27-29)
 イエス様が、再び、宮の中を歩いておられた時、大祭司と律法学者、長老たちがやって来て、言いました。「何の権威によって、これらのことをしておられるのですか。だれが、あなたにこれらのことをする権威を授けたのですか。」
「これらのこと」とは、イエス様が宮をきよめ、宗教指導者たちの罪を咎められたことです。彼らは、当然イエス様の叱責を受け入れ、悔い改めにふさわしい実を結ばなければなりませんでした。しかしむしろイエス様を殺そうとたくらみました(18)。彼らは宗教的な権威によって、天の権威を持っておられるイエス様を踏みにじろうとする愚かな人々でした。
Ⅱ.バプテスマのヨハネの権威はどこから来たのですか(30-33)
 イエス様は、彼らの本音を知り、質問されました。「ヨハネのバプテスマは、天から来たのですか、人から出たのですか。」(30)。もし、彼らが「天から」と答えれば、彼を信じなかったことに対する追求を受けるようになります。もし、「人から」と答えれば、彼を本当の預言者だと思っている民たちから非難されるようになり、何の答えもできませんでした。彼らは、天から来る権威を受け入れられなかったために、いつも人々の目を気にして、恐れにとらわれていました。しかしイエス様は、天から来る権威を持った方として、人や組織に影響されず、大胆に神様の御業を行ないました。人々は、権威ある人や団体から認定されなければならない、と言います。しかし本当の権威は天から来る権威です。天から来る権威を受けずに、神様の御業を行なうことができません。

祈り:主よ!私にも、天から来る権威をくださり、大胆に福音を宣べ伝えることができるように、助けてください。

一言:天から来る権威


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