聖書別日ごとの糧   >>   マルコ[2014]

2014年 04月 25日 (金)

マルコ1:1-8
イエス・キリストの福音のはじめ

1.悔い改めのバプテスマを説いたヨハネ(1-5)
 マルコは、神様の御子イエス・キリストの福音が始まったことを、宣布しています(1)。ところが、キリストの福音が始める前に、これを準備する人たちがいました。それに対して、神様は、預言者イザヤを通して、前もって話されました。「見よ。わたしは使いをあなたの前に遣わし、あなたの道を整えさせよう。」(3,イザ40:3)。イザヤが預言した使いは、バプテスマのヨハネです。彼は荒野で、「罪が赦されるための悔い改めのバプテスマ」を説くことで、主の道を用意しました(4)。すると、ユダヤ全国の人々とエルサレムの全住民が出て来て、自分の罪を告白して、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けていました(5)。
 イエス・キリストの福音が始まるためには、バプテスマのヨハネのように、悔い改めのバプテスマを説く人がいなければなりません。なぜなら、キリストの福音が働くためには、まず私たちが悔い改めなければならないからです。
2.聖霊のバプテスマをお授けになるイエス様(6-8)
 ヨハネは、悔い改める者に、キリストの福音がどのように働くのか、を証ししました。「私はあなたがたに水でバプテスマを授けましたが、その方は、あなたがたに聖霊のバプテスマをお授けになります。」(8)。ここで、「水のバプテスマ」とは、悔い改めることを決断した人々に、そのしるしとして与えるバプテスマです。このように悔い改めることを決断した人々に、キリストは「聖霊」をくださり、救いの確信を持たせてくださいます。また、彼らを生まれ変わらせて、聖なる神様のかたちに従って生きようとする望みを、また力をくださいます。

祈り:主よ!私が、罪を当然のことのように思ったり楽しもうとはせずに、悔い改めることによって、聖霊のバプテスマを受けるように、助けてください。

一言:悔い改めのバプテスマを受けよう



2014年 04月 26日 (土)

マルコ1:9-13
福音の御業を始められたイエス様

1.バプテスマをお受けになったイエス様(9-11)
 ヨハネが悔い改めのバプテスマを説いていた時、イエス様がガリラヤのナザレからヨルダン川に来られ、ヨハネからバプテスマをお受けになりました。罪がないイエス様が悔い改めのバプテスマを受けたのには、特別な意味がありました。イエス様は神様の御子ですが、バプテスマをお受けになったことで、罪人のようになられました。また、バプテスマのヨハネからバプテスマを受けられたことで、バプテスマのヨハネに続いて、神様の救いの御業を始めようとされました。イエス様のバプテスマは、キリストの就任式でした。イエス様がバプテスマを受けられた時、天が避けて御霊が鳩のように下りて来るのと同時に、天から声がしました。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」(11)。イエス様は罪人と共にバプテスマを受けましたが、本来は神様の御子です。このイエス様だけが、神様がお認めになった唯一のキリストです(使4:12)。
2.誘惑を受けられたイエス様(12,13)
 キリストとしての就任式を終えると、御霊はイエス様を荒野に追いやり、イエス様は荒野で四十日間、サタンの誘惑を受けられました。では、なぜイエス様はサタンの誘惑を受けなくてはならなかったのでしょうか。これは、人間に罪が入り込んだのは、最初の人アダムがサタンの誘惑に陥り、神様の御言葉に逆らったからです。それで、イエス様がキリストになるためには、人間のようにサタンの誘惑を受け、打ち勝たなければなりませんでした。イエス様はサタンの誘惑に打ち勝たれました。

祈り:主よ!バプテスマを受けられたことで、罪人のようになられましたが、サタンの誘惑に打ち勝たれることで、救い主になられた主を賛美します。

一言:あなたはわたしの愛する子



2014年 04月 27日 (日)

マルコ1:14-20
悔い改めて福音を信じなさい

1.神の国を宣べ伝えられたイエス様(14,15)
 ヨハネが捕らえられて後、イエス様はガリラヤに来られ、神様の福音を宣べ伝えられました。「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。(15)。イエス様が宣べ伝えたのは、「神の国」でした。神の国は、神様が治める領域を指しています。神様が私たちの心を治めるなら、私たちの心に神様の御国が来るようになります。そこには、救いといのち、愛と平和があります。人には、多くの問題がありますが、その全ての原因は、神様に治められていないからです。イエス様は、私たちを、罪とサタンの支配から救うために、また、私たちの心に神様の御国が臨まれるために、来られました。
2.弟子たちを召されたイエス様(16-20)
ガリラヤ湖のほとりを通られると、イエス様はシモンとその兄弟アンデレが湖で網を打っているのを、ご覧になりました(16)。また、少し行かれると、ヤコブとその兄弟ヨハネが網を繕っているのをご覧になりました。そして彼らに言われました。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」(17)。召された漁師たちは舟と網を残して、イエス様について行きました。
 イエス様は、一番最初に弟子たちを召されました。このように福音の御業は、一人一人を弟子として召して、育てることから始まります。

祈り:主よ!足りない私をイエス様の弟子として召してくださり、感謝します。私が、神様の福音を宣べ伝える福音の働き人になるように、助けてください。

一言:福音伝道と弟子養成



2014年 04月 28日 (月)

マルコ1:21-28
御言葉の権威者イエス様

1.権威ある御言葉を教えられたイエス様(21,22)
 カペナウムに行かれたイエス様は安息日に会堂に入って教えられました(21)。人々はイエス様の教えに大変感動し、また驚きました。著者は、その理由を、「イエス様の教えが律法学者たちとは違っていたからだ」と説明しました(22)。律法学者たちは知識も豊富で、言葉も上手です。しかし、その内容は主に律法と言い伝えだけでした。彼らの教えは乾いていて、生命力がありませんでした。
 しかしイエス様は、悔い改めと福音を、また、神様の救いを教えられました。イエス様はまた、このような御言葉を、大変分かりやすく、具体的に、実生活の中で教えられました。何より、イエス様は民たちに対する切なる愛がありました。このような時、イエス様の教えは人々の心の中に入って行きました。
2.汚れた霊を追い出されたイエス様(23-28)
 その時、汚れた霊につかれた人が、会堂でイエス様の御言葉を聞いていて、叫んで言いました(23)。「ナザレの人イエス。いったい私たちに何をしようというのです。」(24)。その時、イエス様はその人の中で働いている悪霊を叱りました(25)。「黙れ。この人から出て行け。」すると、汚れた霊がその人から出て行きました。イエス様の御言葉の力は、人々の心を感動させるのにとどまりませんでした。イエス様の御言葉には、人の心の中で働く汚れた霊を追い出す力があります。

祈り:主よ!主の御言葉で、私から汚れた霊を追い出してください。そして、私も権威ある御言葉のしもべになるように、助けてください。

一言:御言葉の権威



2014年 04月 29日 (火)

マルコ1:29-39
福音を知らせるために来られたイエス様

1.ペテロの家を訪問したイエス様(29-31)
 会堂から出たイエス様は、その弟子シモンの家を訪問しました(29)。ところが、シモンの家に行って見ると、そのしゅうとが熱病で床に着いていました。イエス様は、シモンのしゅうとめに近寄って、その手を取って起こされました。すると熱がひきました。イエス様は弟子たちの家庭を訪問しながら、彼らと人格的な関係を深く結ばれました。また、忙しい仕事の合間にも、具体的に一人を助けてくださいました。
2.わたしは、そのために出て来たのだから(32-39)
 夕方になると、人々は病人や悪霊につかれた者をみな、イエス様のもとに連れて来ました(32)。夕方、病人や悪霊につかれた人々が集まって来ましたが、イエス様はご自分がお疲れになられていたにもかかわらず、彼らをみな受け入れました。そしてさまざまの病気にかかっている多くの人をお直しになり、また多くの悪霊を追い出されました(34)。そして、次の日の朝には、静かな所に行って祈られました。ところが、朝早くから群衆が集まって来ました。弟子たちは、「みんながあなたを捜しております。」と興奮しました。しかし、イエス様は意外なことを言われました。「さあ、近くの別の村里へ行こう。そこにも福音を知らせよう。わたしは、そのために出て来たのだから。」(38)。
 イエス様は、人々の要求と人気に捕らわれずに、神様が任された伝道に忠実であり、使命人としての中心を守りました。その秘訣は、朝早くに起きて、祈ったからでした。

祈り:主よ!私が、神様がお任せになったキャンパスの学生を具体的に顧みて、伝道者としての使命に忠実になるように、助けてください。

一言:わたしは、そのために出て来たのだから



2014年 04月 30日 (水)

マルコ1:40-45
ツァラアトに冒された人を癒されたイエス様

1.イエス様のみもとに進み出た病人(40)
 イエス様が町にとどまっている間に、ツァラアトに冒された一人がイエス様のみもとに出て行き、ひざまずきました。人々はツァラアトを神様の呪いであり、天罰だと考えていました。また、ツァラアトは伝染力の強い不治の病でした。それで、人々は病人が近づいて来ると、石を投げていました。ところが、このツァラアトに冒された人はイエス様のみもとにお願いに来ました。「お心一つで、私はきよくしていただけます。」(40b)。彼は石に当たって死ぬかもしれない危険と、自分の醜い姿による羞恥心を乗り越えて、イエス様のところに出て行きました。彼がこのようにできたのは、イエス様の大きな愛と力を信じたからです。
2.彼にさわられたイエス様(41-45)
 イエス様は彼に、「なぜそんなに醜くなったのか」と言って、咎めませんでした。むしろ彼を深くあわれまれました。イエス様は、彼の苦しみと寂しさを、知っておられました。それで、彼の醜いからだにさわり、大いなる愛を示されました。そして言われました。「わたしの心だ。きよくなれ。」(41b)。するとツァラアトが消えて、その人はきよくなりました。罪はツァラアトのように、私たちを醜くします。罪によって醜くなった人は、孤独と絶望の中で、生きるしかありません。イエス様は、罪によって醜くなった私たちが、聖くきよめられた人になることを、願われます。私たちが信仰によって、イエス様に出て行くなら、イエス様は私たちをきよめてくださり、聖い生活をするように助けてくださいます。

祈り:主よ!醜い罪によって病んだ私をきよめてくださり、感謝します。この恵みを覚え、罪によって病んだたましいが主に導かれるよう、助けてください。

一言:わたしの心だ。きよくなれ。


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