聖書別日ごとの糧   >>   マルコ[2014]

2014年 07月 01日 (火)

マルコ11:1-11
ろばの子に乗って来られたイエス様

1.主がお入用なのです(1-6)
 イエス様はエルサレムの近くに来られると、二人の弟子を使いに出して、向こうの村のろばの子をほどいて、引いて来るようにと言われました(2)。そして主人に尋ねられたら、「主がお入用なのです」と答えるように命じられました(3)。なぜなら、イエス様は万物をお造りになった主であり、ろばの本当の主人だからです。イエス様は、ろばの本当の主人として、いくらでも必要な時に用いることができます。弟子たちが信仰によって、御言葉に従って出て行った時、ろばの子をほどいて引いて来ることができました(6)。この出来事を通して、弟子たちは信仰の力を体験し、イエス様を万物の主として受け入れるようになりました。
2.主の御名によって来られる方に(7-11)
 弟子たちは、ろばの子を引いて行き、自分たちの上着をその上に掛けました。それで、イエス様はろばの子に乗って、エルサレムの町に入って行かれました。数多くの人々が自分の上着を道に敷き、木の枝を振って、賛美しました。「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。祝福あれ。いま来た、われらの父ダビデの国に。ホサナ。いと高き所に。」(9,10)。ろばの子に乗って来られたイエス様は、謙遜で、正しく、救いを施してくださる方です(ゼカ9:9)。イエス様は王の王であり、万物の主ですが、謙遜にご自分を低くし、ろばの子にお乗りになりました。それで、謙遜な者だけが、このイエス様に会うことができ、イエス様を王としてお迎えすることができます。イエス様は、私たちの賛美と礼拝を受けるのにふさわしい方です。

祈り:主よ!謙遜に、ろばの子に乗って来られた主を受け入れます。私の心を謙遜にし、主の御業に用いてください。

一言:ろばの子に乗った謙遜の王



2014年 07月 02日 (水)

マルコ11:12-19
主の宮をきよめられたイエス様

1.いちじくの木を呪われたイエス様(12-14)
 翌日、イエス様がベタニヤを出た時、ひどく空腹を覚えられました。イエス様は、葉の茂ったいちじくの木が遠くに見えたので、実を食べようと近づいて行かれました。しかし、その木には、葉のほかに何もありませんでした(13)。イエス様は、実がなく、葉だけが茂っているいちじくの木を呪われました。「今後、いつまでも、だれもおまえの実を食べることのないように。」(14)。イエス様は葉ではなく、実を願われました。理由はどうであれ、イエス様が願われる時に実を結べていなかったいちじくの木は、呪いを受けました。実がなく、葉だけが茂った人や集まりや国は、イエス様の呪いから逃れることはできません。
2.主の宮をきよめられたイエス様(15-19)
 イエス様は宮の中に入られ、そこで売り買いしている人々を追い出されました。また、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒しました。イエス様は、聖なる宮を強盗の巣にしてしまった人々を追い出され、宮をきよめられました。そして、主の宮とは、すべての民の祈りの家であることを、教えてくださいました。主の宮は、罪人たちが聖なる神様に出会う聖所と至聖所のある神様の家です。ここは、罪人たちが神様の御前で悔い改め、罪の赦しを受け、また、世界万民のために祈る所です。主の宮が祈る場所にならない時、葉だけが茂ったいちじくの木のように、さばきを受けるようになります。

祈り:主よ!実がなく、葉だけが茂った自分を発見しました。今は、実を結ぶ祈りの人になるように、助けてください。

一言:全ての民の祈りの家



2014年 07月 03日 (木)

マルコ11:20-25
神を信じなさい

1.神を信じなさい(20-24)
 翌朝、通りがかった時、弟子たちは、前の日にイエス様が呪われたいちじくの木が根から枯れているのを、見ました。それで、ペテロはひどく驚いて言いました。「先生。ご覧なさい。あなたののろわれたいちじくの木が枯れました。」(21)。イエス様は、驚いているペテロに言われました。「神を信じなさい。」(22)。神様は全能なる方です。この神様を信じる時、誰でも驚くべきことをすることができます。神様を信じる時、山であっても海に沈めることができます。ただ、話したことがその通りになることを信じ、心の中で疑わないようにしなければなりません(23)。信仰とは、少しも疑うことなく、全面的に神様に信頼し、確信することです。信じる者には、できないことはありません。それで、祈って求めるものは、すでに受けたと信じなければなりません。そうすれば、その通りになります。疑う者は、風に吹かれて揺れ動く波のようであり、何も得ることができません(ヤコ1:6,7)。
2.赦してやりなさい(25)
 立って祈る時、だれかに対して恨み事があったら、まず赦してやらなければなりません。赦せない心で神様の御前に立つことはできず、祈りも聞かれません。人々は神様との縦の関係さえ良ければいい、と考えます。しかし、他の兄弟たちとの横のつながりが回復されなくては、神様との正しい関係を維持することができません。それで、まず兄弟を赦し、愛の関係を回復しなければなりません。すると、神様との正しい関係の中で祈ることができます。

祈り:主よ!私には、神様を全面的に信じる信仰がありません。心の中にある全ての疑いを取り除き、信仰の人に変えてください。

一言:神様を信じなさい



2014年 07月 04日 (金)

マルコ11:27-33
天から来る権威

1.何の権威によって(27-29)
 イエス様がまた、宮の中を歩いておられると、祭司長、律法学者、長老たちがやって来て抗議しました。「何の権威によって、これらのことをしておられるのですか。だれが、あなたにこれらのことをする権威を授けたのですか。」「これらのこと」とは、イエス様が宮をきよめ、宗教指導者たちの罪をお咎めになったことです。彼らは、イエス様の叱責を受けた時、悔い改めにふさわしい実を結ぶべきでした。しかし、むしろイエス様を殺そうと、たくらむようになりました(18)。彼らは宗教的な権威によって、天の権威を持っておられるイエス様を踏みにじろうとする、愚かな人々でした。
2.バプテスマのヨハネの権威はどこから出たのか(30-33)
 イエス様は、彼らの本心を知り、尋ねられました。「ヨハネのバプテスマは、天から来たのですか、人から出たのですか。」(30)。もし、彼らが「天から」と言えば、それを信じなかったことに対して追及されてしまいます。もし、「人から」と言えば、彼を預言者だと思っている民たちから非難されることになり、どう答えて良いかが分かりませんでした。彼らは天から来る権威を受け入れられなかったので、いつも人々の視線を気にし、恐れていなければなりませんでした。しかし、イエス様は天から来た権威を持っておられる方なので、人や組織に影響されず、大胆に神様の御業を行なうことができました。人々は、権威ある人や団体から認められなければならない、と言います。しかし、本当の権威は、天から来る権威です。天から来る権威を受けなければ、神様の御業を行なうことができません。

祈り:主よ!私にも天からの権威をくださり、大胆に福音を宣べ伝えることができるように、助けてください。

一言:天から来る権威


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