聖書別日ごとの糧   >>   マルコ[2014]

2014年 07月 12日 (土)

マルコ14:1-9
イエス様に香油を注いだ女

1.石膏のつぼを割った女(1-3)
 二日後にはイエス様が神様の子羊として殺されることになる過越しの祭りの時でした。イエス様は、ベタニヤのシモンの家で、食事に招かれていました。その時、一人の女が非常に高価な香油の入った石膏のつぼを持って来て、そのつぼを割り、イエス様の頭に注ぎました。それによって、美しい香りが家中に満ち溢れるようになりました。
 女にとって、石膏のつぼは、非常に貴いものでした。そこには、結婚に対する女の夢と、真心と涙と献身が込められていました。女の全てが込められていました。女はイエス様の恵みに感謝して、自分が一番大切にしている石膏のつぼを割って、主にささげました。この女の心は、主に対する感謝、感動で満たされていたことでしょう。
2.女の真心を受け入れられたイエス様(4-9)
 何人かの者は、「女が香油をむだにした」と言って非難し、憤慨しました。彼らは全てのものをお金に換算し、計画し、お金に執着する人たちでした。しかし、イエス様は女の犠牲と献身を、りっぱなこととしてご覧になりました。そして、これが福音の御業において、いつまでも記念される出来事であり、福音が宣べ伝えられる所なら、どこででも、彼女のした事は記念になると、言われました。イエス様は女の真心を受け入れられ、貴く用いてくださいました。人にとって、自分の全ての真心を捧げられる場所が見つかることほど、感動的なことはありません。イエス様は、私たちの真心を受けるのに、ふさわしい方です。

祈り:主よ!私の石膏のつぼを割って、主にささげます。私の真心を受け入れてくださり、万民の救いの御業に用いてください。

一言:私の真心を主に



2014年 07月 13日 (日)

マルコ14:10-26
最後の晩餐

1.わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ります(10-21)
 イスカリオテ・ユダは大祭司から、「お金をやろう」と約束され、イエス様を引き渡す機会を伺っていました。このような中で、イエス様は弟子たちと過越しの食事をしようと、その準備をさせました。しかし、ユダの裏切りを知っておられたので、食事の場所は秘密にされました。
 晩餐の途中で、イエス様は言われました。「あなたがたのうちのひとりで、わたしといっしょに食事をしている者が、わたしを裏切ります。」イエス様は、この御言葉を聞いて、ユダが悔い改めることを、願われました。弟子の裏切りによって、イエス様はどれだけ心を痛められたでしょうか。しかし、イエス様は裏切られる痛みよりも、裏切り者のたましいが破滅に至ることに、もっと心を痛めておられました(21)。
2.わたしの契約の血です(22-26)
 過越しの食事をしている時、イエス様はパンを取って与え、「これはわたしのからだです。」と言われました。パンを裂いて与えたのは、イエス様が罪人たちの代わりにむちで打たれ、肉が引き裂かれることを意味します。また、杯を取って与え、「これはわたしの血です。」と言われました。杯は、多くの人のために流される血、すなわち、契約の血を意味します。マタイの福音書には、罪の赦しを受けるために流される血だと記されています(マタ26:28)。イエス様は、過越しの子羊として、私の罪を贖うために十字架で全ての苦しみを受け、赤い血を流されました。今日の聖餐式は、このように、イエス様の救いの恵みを記念するものであり、この最後の晩餐が、その起源となりました(1コリ11:23-26)。

祈り:貴い主よ!みじめな私のために、貴い体を引き裂き、血を流してくださったその恵みに感謝し、涙を流します。

一言:契約の血



2014年 07月 14日 (月)

マルコ14:27-42
ゲツセマネの祈り

1.あなたがたはみな、つまずきます(27-31)
 イエス様は、弟子たちの弱さを、知っておられました。それで、試練の日に弟子たちがみな散らされることを、前もって話されました。そして、彼らがもう一度立ち上がることができるように、ご自分がよみがえることと、望みと、その後の方向を示されました(28)。しかし、ペテロは「自分は、そんなことはしない」と断言しました。イエス様は、彼が何年か後ではなく、すぐにその日の晩、三度も「イエス様を知らない」と言うことを話されました。三度も知らないということは、徹底的に否定することを意味します。しかし、ペテロはかたくなにイエス様の御言葉を受け入れませんでした。彼は、人がどれだけ弱い存在であるのかを、知りませんでした。結局、彼は祈らず、それによって誘惑されました。
2.あなたのみこころのままを(32-42)
 十字架の死を目の前にしたイエス様は、ひどくもだえ、悲しまれました。イエス様は三人の弟子たちに祈りを頼まれた後、ご自分は地面にひれ伏して、切に祈られました。イエス様は、できることなら十字架の苦い杯を取り除いて欲しいと祈りました。しかし、結局は「わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」と祈られました、(36)。イエス様は、三度も同じ祈りをされました。血と汗を流して、祈られました(ルカ22:44)。イエス様はついに、すべての羞恥と苦難にも関わらず、積極的に神様の御旨に服従しようと、決断されました。祈りとは、自分を捨て、神様の御旨に服従するために闘争することです。

祈り:主よ!神様の御旨に服従するために、毎日祈りの闘争ができるように、私を助けてください。

一言:私の主の御心通りに



2014年 07月 15日 (火)

マルコ14:43-52
逮捕されたイエス様

1.聖書のことばが実現するために、逮捕されたイエス様(43-49)
 イエス様が祈りによって勝利され、十字架を担うために立ち上がられた時、裏切り者のユダが、剣や棒を手にした群衆を引き連れて、ゲツセマネの園にやって来ました。彼は、イエス様に近寄って、口づけしました。しかし、それは群衆にイエス様を知らせる裏切りのキスでした。イエス様は、愛する弟子の裏切りによって逮捕されました。愛し、信頼していた弟子から裏切られた時、それも愛の口づけで自分を売った弟子を考える時、それは、本当に耐えがたいことでした。しかし、イエス様は、これを人間的な目で見ませんでした。イエス様は、弟子の裏切りによって、どうすることもできずに逮捕されたのではありません。イエス様は、逮捕されずにいくらでも逃れることができました。しかし、イエス様は言われました。「こうなったのは聖書のことばが実現するためです。」(49)。イエス様は、ご自分の苦難や体面よりも、神様の御旨を成し遂げようとされました。
2.イエス様を見捨てて、逃げて行った弟子たち(50-52)
 弟子たちは大声を上げるだけで、祈りませんでした。イエス様が祈っている間は、眠っていました。その時、試練にぶつかると、彼らは恐れにとらわれてしまいました。弟子のうちの一人は、両刃の剣を抜いて、大祭司のしもべの耳を切り落としました。そして、結局はみな、イエス様を見捨てて、逃げてしまいました。祈らない時、試練の前で当惑し、無力になるしかありません。

祈り:主よ!私が試練の日には逃げる卑怯者にならず、主の御旨を成し遂げて行く、祈りの人になるように、助けてください。

一言:こうなったのは聖書のことばが実現するためです



2014年 07月 16日 (水)

マルコ14:53-72
わたしは、それです

1.「わたしは、それです。」と話されたイエス様(53-65)
 イエス様は、明け方、全議会に引き渡されました。彼らは、夜間に裁判を開いて、イエス様を尋問しましたが、この裁判自体が公正なものではありませんでした。彼らはすでにイエス様を死刑にすることにしており、その証拠を見つけようとしただけでした。
 このような雰囲気の中では、委縮するしかありません。しかし、イエス様は、大祭司から「あなたは、キリストですか。」と尋ねられた時、少しもひるむことなく、大胆にお答えになりました。「わたしは、それです。」イエス様は、ご自分がほむべき方の子、キリストであることを、明らかにされました。さらに進んで、よみがえってから、神様の右に着くことと、天の雲にのって、さばき主として再臨されることも明らかにされました。イエス様は、そのことによって、死刑宣告を受けました。私たちも、イエス様のように、どんな苦しみがあっても、自分がクリスチャンであることを、はっきりと表すことができるように祈ります。
2.「知らない」と言ったペテロ(66-72)
 ペテロは、イエス様がどうなるのかが気になって、大祭司の下の庭にまで来ていましたが、本当はひどく震え上がっていました。そして大祭司の女中の前で、「私は知らない。」と三度も否定しました。最後には、のろって誓いまで立てて、かたくなに否定しました。祈らなかった時、ペテロは自分も願わないうちに、主を否定してしまいました。イエス様を否定してから初めて彼は、自分の弱さと、イエス様の御言葉を思い出して、泣き出しました。

祈り:主よ!私も主に見習って、どんな状況の中でも、主の子どもらしく堂々としていられるように、助けてください。

一言:わたしは、それです


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