聖書別日ごとの糧   >>   マルコ[2022]

2022年 02月 10日 (木)

マルコの福音書3:1-19(14,15)
十二人を任命

 安息日にイエス様が会堂に入られた時、そこに片手の萎えた人がいました。人々はイエス様を訴えるために、その人を治すかどうかじっと見ていました。イエス様は彼らの意図を見抜いて、その人に「真ん中に立ちなさい」と言われました。それから、彼らに安息日に律法にかなっているのは、善を行なうことなのか、悪を行なうことなのか、いのちを救うことなのか、殺すことなのかと問いかけられました。彼らは、ただ黙り込んだままでした。彼らは、安息日の律法を守るためだと言って、イエス様を殺そうとしたばかりか、片手の萎えた人さえも利用しようとしました。イエス様は彼らの心の頑なさを嘆き悲しまれました。そして、その人の萎えた手を治してあげることによって、安息日の律法にかなっているのは善を行ない、いのちを救うことであると教えられました。その後、イエス様は押し寄せてくる大勢の人々を癒し、悪霊を追い出しました。

 宗教指導者であるパリサイ人たちは、イエス様の御言葉を聞いても悔い改めない心の頑なな人たちでした。人々を顧みて助ける立場にある指導者たちが、イエス様を殺す企みしか考えませんでした。こんな指導者の下で人々は様々な病と悪霊に苦しんでいました。このような時代に、イエス様は山に登り、ご自分が望む者たちを呼び寄せられました。彼らがみもとに来ると、イエス様は十二人を任命し、彼らを使徒と呼ばれました。イエス様が彼らを呼び寄せた目的は、ご自分のそばに置くためであり、遣わして宣教をさせ、悪霊を追い出す権威を持たせるためでした。イエス様は彼らがご自分の御業を継承して、病と悪霊に苦しんでいる人々が救われることを願われました。十二弟子はごく普通の若者たちでした。但し、彼らはイエス様の御言葉に聞き従う人たちでした。イエス様はそんな彼らを霊的指導者に育てあげられました。イエス様の御言葉に聞き従い、イエス様のそばにとどまる人は、霊的権威を持った人に成長します。



適用:どんな弟子ですか

一言:宣教し、悪霊を追い出す弟子



2022年 02月 11日 (金)

マルコの福音書3:20-35(29)
聖霊を冒瀆する者は

 イエス様は集まって来た群衆に仕えていたので、食事する暇もありませんでした。それほど情熱的に働かれました。これを聞いた身内の者たちは、イエス様を連れ戻しに来ました。人々が、イエス様はおかしくなったと言っていたからでした。エルサレムから下って来た律法学者たちも「ベルゼブルにつかれている」、「悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出している」とイエス様を非難しました。これに対し、イエス様は、サタンがサタンを追い出すことはできない論理について説明されました。もし国が内部で分裂したら、その国は立ち行きません。もし家が内部で分裂したら、その家は立ち行きません。ですから、イエス様が悪霊どものかしらによって悪霊を追い出しているというのは、論理的に矛盾した主張です。

 人はどんな罪も赦していただけます。しかし、聖霊を冒瀆する者は、永遠に赦されず、永遠の罪に定められます。聖霊を冒瀆するとは、聖霊の働きを認めず、悪意を持って拒み、逆らうことです。イエス様の御業が聖霊の働きである明白な証拠があるにもかかわらず、それを受け入れないで、悪霊につかれていると言いがかりをつけるのは、聖霊を冒瀆する罪に当たります。このような罪は赦されません。罪の赦しは聖霊の働きの中で、重要な働きの一つです。聖霊を冒瀆すれば、聖霊の働きを妨げることになるので、罪の赦しの恵みをいただくことができないのです。

 さて、イエス様の母と兄弟たちがやって来て、イエス様を呼びました。イエス様は群衆の前で、聖書に基づいた家族観について教えられました。「だれでも神のみこころを行なう人、その人がわたしの兄弟、姉妹、母なのです」。神様のみこころを行なえば、あらゆる壁を乗り越えて神の家族となります。



適用:聖霊を冒瀆したらどうなりますか

一言:永遠に赦されず


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